文化の違いは、言語の違い?2008/11/20 15:52

文化の分岐と融合による言語への影響
言語の違いを推定する材料として、文化の違いを想定していましたが、果たして、そんなに簡単な話なのでしょうか?

日本語祖語から、日本語とアイヌ語へ分岐するという仮定において、いつ言語に違いが出てきたのかを考えるのに、文化の違いを想定していたのです。
縄文後期から晩期において、北海道と本州では文化の地域性が見られるようなので、その辺りが言語としても地域性が出てきたのではないか、という考えです。

単純に、「文化の違いは、言語の違い」と考えてよいのでしょうか?
そうすると、九州、本州における、縄文文化から弥生文化への変化は、縄文語から弥生語へと、大きく異なる言語への変化ということになります。
(縄文語、弥生語といった言語の呼び名の問題は、ここでは触れません。)

縄文語から弥生語への変化は、それ程大きな変化ではないという、これまでの考えを否定することにも成りかねません。

そこで、もう一度頭の中を整理してみました。
文化の違いには、二つのケースが考えられ、一つは「分岐」、もう一つは「融合」です。

図のケース1が、分岐の場合で、それぞれの文化の発展(変化)と共に、それぞれの言語も変化していく形で、日本語とアイヌ語の関係を想定します。

ケース2が、融合の場合で、縄文文化に渡来人による文化が融合し、新しい文化(弥生文化)が生まれるという形ですが、言語に関しては、影響を受けるものの、基本は変わらないという考えです。

もちろん、これは都合の良い解釈とも言えるもので、渡来人による言語に入れ替わってしまう、ということも考えられます。

ただ、ここでは、これまでの考え方の可能性を確認し、矛盾がないことを示したかったのです。