『縄文人にはさまざまなタイプが存在した』-Newton 2009/08号より2009/06/26 16:23

「ニュートン」という科学誌(月刊)をご存知でしょうか。
大抵の本屋さんには並んでいますし、一部のコンビニエンス・ストアにも置いてあります。
恐らく10年くらい前から、ほぼ欠かさず読み続けていますが、最近は”人類の起源”や、”日本人の起源”、”古代の遺跡に関する事”、”文字の成り立ちに関する事”などが、特に気になる話題です。
もちろん、特集ではさまざまな分野を取り上げており、そちらも興味深く読んでいます。

さて、タイトルの「縄文人には・・・」ですが、これは、発売されたばかりの2009/8月号の、最後の方のページに、1ページ1題目で掲載されているタイトルです。

簡単に言ってしまうと、縄文人のDNA(ミトコンドリアDNA)を解析し、そのDNAのタイプ(ハプログループ)を調べて見ると、2つの特徴的なタイプ「M7a」と「N9b」があり、その地域的な分布から、南方起源の人達と、北方起源の人達が居たのではないか、ということです。

内容の詳しいことについては、ここでは触れませんが、気になったのは、この内容に聞き覚えがあった、ということなのです。
勝手な思い込みですが、月刊誌であるということと、記事の形式から、比較的新しい事柄について書かれていると思っていたので、肩透かしを食わされた印象です。

しかし、もちろん、この記事と同様のことが書かれている本は、容易に想像できました。
この記事の「協力」欄には、篠田謙一氏(国立科学博物館人類史研究グループ長)の名があったこともあり、『日本人になった祖先たち-DNAから解明するその多元的構造』篠田謙一(NHKブックス)だろうと。

早速、本棚から掘り起こし、パラパラと関連のありそうなページをめくって、ざっと目を通すと、やっぱり同じでした。
特に新しい情報が追加されている訳でも無さそうです。
「M7a」と「N9b」の地域別の出現頻度をグラフ化した図も、まったく同じと言ってよいでしょう。
情報の出所が同じなので、当然の結果なのですが、少し気になるのは、ニュートンの記事としては、ちょっと古いのでは、と。

「日本人になった祖先たち・・・」の出版を見てみると、第1刷が2007年2月となっていました。
思っていたよりも新しかったので、微妙な気分のまま、そういうものなんだと、自分を納得させることになりました・・・。

『縄文人と「弥生人」古人骨の事件簿』⑥・・・新方遺跡の人骨(まとめ2)2009/04/24 17:13

新方遺跡の人骨が意味することについて、”想像をたくましくして”考察してみたいと思います。
矛盾するようですが、できるだけ客観的に見る為に、相反する二つの視点から考えてみます。
それは、大量渡来説を肯定する視点と、否定する視点です。

まずは、それぞれの説の大まかな定義をした上で、どのように解釈するのかを考えてみます。

【大量渡来説】
縄文時代晩期から弥生時代にかけて、何度にもわたる大量の渡来人により、土着の縄文人と入れ替わるようにして、渡来系弥生人が日本列島の広い範囲に行き渡った。
縄文人と、弥生人(主に弥生時代後期以降)の人骨の特徴の違いは、後者が渡来人の影響に拠るものと考える。

新方遺跡の人骨は、縄文人の子孫であり、その数を減らしつつあった。
遺骨から見つかった石鏃は、死因となったものであり、渡来系弥生人による殺害の可能性が考えられる。
うつ伏せの埋葬は、その遺体が丁重に埋葬されたのではないことを示唆しており、殺害後、乱暴に埋葬されたと考える。

【縄文人変容説】
縄文時代から弥生時代にかけて、少数の渡来人による影響はあったが、基本的には土着の縄文人が、弥生人へと徐々に変容した。
縄文人と、弥生人(主に弥生時代後期以降)の人骨の特徴の違いは、生活習慣の変化に拠るところが大きいと考える。

新方遺跡の人骨は、縄文人の子孫で、まだあまり弥生文化の影響を受けていない時期である為、縄文人の特徴を多く残している。
遺骨から見つかった石鏃は、死因となったものであり、各地で多発し始めたクニ(国)とクニとの争いの犠牲者と考える。
うつ伏せの埋葬は、その遺体が丁重に埋葬されたのではないことを示唆しており、殺害後、乱暴に埋葬されたと考える。

【まとめ】
実際にまとめてみると、当初思っていたよりも、違いの無い結果となったような気がします。
どちらの説にしてみても、縄文人的な特徴を持つ人達がいても、全くおかしくはないので、そのような人骨が発見されたということで、どちらかの説を裏付ける証拠とは言い切れないように思います。

著者の片山氏には、この人骨の発見が、変容説の裏づけのきっかけになると期待しているようですが、今のところ期待以上のものは無さそうです。

出土している人骨の数が、あまりにも少ないので当然のことなのですが、人骨からこれらの説の裏づけをとるには、かなりの数が、多くの地域から出土しないと難しいようにも思います。
今のところ、それが期待できる様子はないようなので、異なる資料、異なる角度から検討する必要があるでしょう。

『縄文人と「弥生人」古人骨の事件簿』⑤・・・新方遺跡の人骨(まとめ)2009/04/23 17:35

前回の予告どおり、まとめに入りたいのですが、最初にお断りしておくことがあります。
新方遺跡に関する記述のタイトルは、「速報・弥生時代前期の縄文人?-神戸新方遺跡」です。
”速報”の文字が示すように、とりあえず分かっていることを書いているのであって、この人骨が何を意味するのか結論には至っていません。

片山氏がまとめたことを、簡潔に箇条書きにすると、次のようになります。
・弥生時代開始期の人骨としては、近畿地方で最初の発見
 (北部九州でも、その時期の人骨は皆無)
・縄文人を彷彿とさせる特徴が多い
 (弥生時代に入っても、縄文人そのものといえる人々の存在を示す)
・埋葬姿勢に謎
 (縄文人とは異なる伸展葬、しかもうつ伏せ)
・三人分の遺体すべてに石鏃
 (死因となった可能性が高い)

疑問だらけなのですが、”「弥生人」渡来仮説を否定する材料と成りうる発見”と捉えています。
(ここで言う「弥生人」渡来仮説とは、渡来人が大量にやってきて、縄文人を排除するようにして、日本列島へ広がっていった、という説)
果たして、渡来説を覆すことができるのでしょうか?

次回は、私自身が”想像をたくましく”して、できるだけ客観的に考察してみたいと思います。