『縄文人と「弥生人」古人骨の事件簿』⑥・・・新方遺跡の人骨(まとめ2)2009/04/24 17:13

新方遺跡の人骨が意味することについて、”想像をたくましくして”考察してみたいと思います。
矛盾するようですが、できるだけ客観的に見る為に、相反する二つの視点から考えてみます。
それは、大量渡来説を肯定する視点と、否定する視点です。

まずは、それぞれの説の大まかな定義をした上で、どのように解釈するのかを考えてみます。

【大量渡来説】
縄文時代晩期から弥生時代にかけて、何度にもわたる大量の渡来人により、土着の縄文人と入れ替わるようにして、渡来系弥生人が日本列島の広い範囲に行き渡った。
縄文人と、弥生人(主に弥生時代後期以降)の人骨の特徴の違いは、後者が渡来人の影響に拠るものと考える。

新方遺跡の人骨は、縄文人の子孫であり、その数を減らしつつあった。
遺骨から見つかった石鏃は、死因となったものであり、渡来系弥生人による殺害の可能性が考えられる。
うつ伏せの埋葬は、その遺体が丁重に埋葬されたのではないことを示唆しており、殺害後、乱暴に埋葬されたと考える。

【縄文人変容説】
縄文時代から弥生時代にかけて、少数の渡来人による影響はあったが、基本的には土着の縄文人が、弥生人へと徐々に変容した。
縄文人と、弥生人(主に弥生時代後期以降)の人骨の特徴の違いは、生活習慣の変化に拠るところが大きいと考える。

新方遺跡の人骨は、縄文人の子孫で、まだあまり弥生文化の影響を受けていない時期である為、縄文人の特徴を多く残している。
遺骨から見つかった石鏃は、死因となったものであり、各地で多発し始めたクニ(国)とクニとの争いの犠牲者と考える。
うつ伏せの埋葬は、その遺体が丁重に埋葬されたのではないことを示唆しており、殺害後、乱暴に埋葬されたと考える。

【まとめ】
実際にまとめてみると、当初思っていたよりも、違いの無い結果となったような気がします。
どちらの説にしてみても、縄文人的な特徴を持つ人達がいても、全くおかしくはないので、そのような人骨が発見されたということで、どちらかの説を裏付ける証拠とは言い切れないように思います。

著者の片山氏には、この人骨の発見が、変容説の裏づけのきっかけになると期待しているようですが、今のところ期待以上のものは無さそうです。

出土している人骨の数が、あまりにも少ないので当然のことなのですが、人骨からこれらの説の裏づけをとるには、かなりの数が、多くの地域から出土しないと難しいようにも思います。
今のところ、それが期待できる様子はないようなので、異なる資料、異なる角度から検討する必要があるでしょう。

『縄文人と「弥生人」古人骨の事件簿』⑤・・・新方遺跡の人骨(まとめ)2009/04/23 17:35

前回の予告どおり、まとめに入りたいのですが、最初にお断りしておくことがあります。
新方遺跡に関する記述のタイトルは、「速報・弥生時代前期の縄文人?-神戸新方遺跡」です。
”速報”の文字が示すように、とりあえず分かっていることを書いているのであって、この人骨が何を意味するのか結論には至っていません。

片山氏がまとめたことを、簡潔に箇条書きにすると、次のようになります。
・弥生時代開始期の人骨としては、近畿地方で最初の発見
 (北部九州でも、その時期の人骨は皆無)
・縄文人を彷彿とさせる特徴が多い
 (弥生時代に入っても、縄文人そのものといえる人々の存在を示す)
・埋葬姿勢に謎
 (縄文人とは異なる伸展葬、しかもうつ伏せ)
・三人分の遺体すべてに石鏃
 (死因となった可能性が高い)

疑問だらけなのですが、”「弥生人」渡来仮説を否定する材料と成りうる発見”と捉えています。
(ここで言う「弥生人」渡来仮説とは、渡来人が大量にやってきて、縄文人を排除するようにして、日本列島へ広がっていった、という説)
果たして、渡来説を覆すことができるのでしょうか?

次回は、私自身が”想像をたくましく”して、できるだけ客観的に考察してみたいと思います。

『縄文人と「弥生人」古人骨の事件簿』④・・・新方遺跡の人骨2009/04/21 21:28

近畿地方、神戸市にある新方遺跡の弥生時代初期の人骨について、詳しく説明があるので、簡単にまとめたいと思います。

まず、前回、「縄文人と考えられる顔立ちの成人男性二体」と書きましたが、厳密には三体です。
第一号人骨から、第三号人骨と呼び、それぞれの特徴を簡単にまとめます。

【第一号人骨】
1.全身を伸ばした伸展位の姿勢
2.理由がわからない、うつ伏せの格好
3.成人男性
4.死亡年齢は、30~40歳くらい
5.身長は、155~160センチ
6.骨太で腕、脚の筋肉がたくましく発達していた模様
7.頭蓋骨は大きく頑丈、相当な大頭
8.下顎骨も大柄で頑丈、左右に幅広い
9.下顎角はがっしりとして、ひどくエラが張った角ばった顔
10.オトガイと呼ばれる顎の先の膨らみが顕著
11.上下左右の犬歯と、右下の第二大臼歯は、風習抜歯と見られる
12.上下の歯が毛抜き状に噛み合う鉗子状咬合
13.サヌカイト製の石鏃が腹部に刺さっていた模様

以上、縄文人的な特徴を多く見ることができる。
(特に、8~10の下顎骨に関する部分)

【第二号人骨】
1.骨の腐食、分解が進みほとんどの骨が消え行く直前の状態
2.うつ伏せの伸展姿勢と見られる埋葬姿勢
3.歯だけが唯一の観察材料
4.上下左右の犬歯が抜歯されていた可能性が高い
5.性別の判定は不可能
6.死亡年齢は、30~60歳(歯の咀嚼による磨り減りの程度から判定)
7.胸部の骨格のあたりから、サヌカイト製の石鏃が発見

以上、観察材料が少ないが、風習抜歯の様子から、縄文人的な特徴も見られる。

【第三号人骨】
1.仰向けの伸展位の姿勢で埋葬
2.骨に厚みがあり、頑丈な脳頭蓋
3.下顎角の前にあるべき”へこみ”(角前切痕)が無い
4.下顎骨は非常に頑丈な造り
5.下顎骨の第一大臼歯と第二小臼歯に過度の咬耗
6.下肢骨に縄文人的な多くの特徴
7.男性の可能性が高い
8.死亡年齢は、30歳~60歳
9.身長は、160センチ前後
10.胴部を中心に17個もの石鏃が発見

以上、縄文人的な特徴を多く見ることができる。
(特に、3~6に関する部分)

これら三体の人骨の特徴や、状況から一体なにが分かるのでしょうか。
長くなってきたので、また次回に・・・。