東北北部と中国北東部の文化の共通性とアイヌ語2008/11/21 15:32

水田稲作は、朝鮮半島南部より北九州へと伝わった、というのが考古学的には、ほぼ揺るぎない事のようですが、ヒエ、アワ、キビ、ソバといった畑作雑穀の伝来については、二つのルートが考えられるようです。

一つは、水田稲作と同じ、朝鮮南部から北九州のルートで、もう一つは、中国東北部から日本海を直接渡って、東北・北海道へのルートです。

東北、北海道では、縄文早期~前期の遺跡から、雑穀類の出土が見られ、縄文中期~後期では、広く出土しており、それらが日本列島を北上して伝わったと考えるには、時間的に難しいということです。
ここまでは、『王権誕生』寺沢 薫著(講談社)を参考にしました。

さて、東北と中国との繋がりで思い出したのが、縄文時代における交易についての記述です。
『縄文の生活誌』岡村 道雄著(講談社)では、丸木舟による海上交通が盛んであったということと共に、東北と中国北東部の文化の共通性について記述しています。

それは、三内丸山を含む東北北部と北海道南部に分布していた、円筒土器文化が、中国北東の興隆窪文化(こうりゅうわ・ぶんか)と、いくつもの共通性があるというのです。
これは、中国北東部と東北地方との交流を示唆するものです。

考古学者というのは、言語については、まず指摘することは無く、そういった記述は皆無なのですが、一つひらめきました。
もしかすると、これはアイヌ語の祖先と何か関わりがあるのではないかと。
いくつか、可能性が考えられそうです。

【日本語祖語共通説】
・日本語祖語から地域性によって分岐
・縄文中期~後期に、中国北東の興隆窪文化による言語への影響
・続縄文時代に、オホーツク文化による言語への影響

【中国北東部祖語説】
・中国北東の興隆窪文化を持つ人々が、東北地方北部へ渡来
・縄文中期~後期に、日本語祖語による言語への影響
・続縄文時代に、オホーツク文化による言語への影響

少々、大胆な仮説を立ててみましたが、まだ何も検証していません。
例えば、この時代の中国北東部の人の形質や、DNAについても調べていません。

思いつきではありますが、書き始めた勢いで仮説まで立ててみましたが、少々無理があると我ながら感じています。
(前者はともかく、後者の「中国北東部祖語説」は、行きすぎですね。)
言語の由来について考えていると、ちょっとした考古学的な証拠を過大評価してしまう傾向があるようです。
これは、ある国語学者について感じていたことで、他人事ではないと痛感しました。