アイヌの歴史がおもしろい②2008/11/10 14:46

『アイヌの歴史』では、北海道内での人の動きについて、よく説明しています。
先日、東北北部に続縄文文化、擦文文化が影響していた時期について書込みをしましたが、東北のみならず、北海道より北のオホーツク文化の影響を含む北海道内の人の動きに興味深いものがあります。

人の動きについて、少し整理してみます。
【縄文晩期】
 北海道全域、東北共に縄文系の人達が占める(縄文文化)。

【続縄文前期(弥生時代並行期)】
 北海道全域、東北共に縄文系の人達が占める。
 (北海道は続縄文文化、東北以南は弥生文化)

【続縄文後期(古墳時代並行期)】
 北海道全域は縄文系、東北は縄文と渡来(弥生人)の混在。
 (北海道は続縄文文化、東北は続縄文と古墳文化の混在)

【擦文文化成立期(7~9世紀】
 道北から道東にかけてのオホーツク海沿岸は渡来人(オホーツク人:オホーツク文化)
 道南(渡島半島除く)が縄文系。
 渡島半島と東北北部は縄文と渡来(弥生人)の混在。

【擦文文化確立期(10~12世紀)】
 道東に縄文と渡来(オホーツク人)の混在(オホーツク文化:トビニタイ式)。
 道東を除く北海道全域は、縄文系(擦文文化)。

【アイヌ文化成立期(13世紀)】
 北海道全域で、縄文系の人達が占める(アイヌ文化)。

まとめたつもりですが、いまいち分かりにくいですね。

もっとも気になるところは、擦文文化成立期(7~9世紀)からのオホーツク人の動きです。
その辺りを抜き出してみると、次のようになります。

・オホーツク人がサハリンより南下
・道北から道東までのオホーツク海沿岸の広い範囲に広がる
・擦文人に追い立てられ、道東に取り残される(トビニタイ式)
・擦文人に同化し消えてしまう

結果的には、擦文人と同化してしまうオホーツク人ですが、北海道において、そのオホーツク文化の影響は少なくないようです。
形質的、文化的な影響があれば、当然言語への影響も考えられます。
アイヌ語全体では無いにしても、道東のアイヌ方言として、オホーツク人の言語が影響していることは考えられます。

それと、続縄文後期(古墳文化並行期)の続縄文文化の南限をよく見てみると、東北地方のアイヌ語地名の南限が重なることがわかりました。
東北北部のアイヌ語地名は、この時期に定着したと考えることもできます。

ここで疑問が湧いてきます。(ただ知らないだけです。)
まず、東北北部のアイヌ語地名といいますが、近代のアイヌ語と比較しての見解だと思うのですが、もし続縄文時代後期(古墳時代)からアイヌ語が変化していないはずはありません。
その辺りの見解が気になります。

また、東北北部のアイヌ語地名が近代のアイヌ語と近いものであるなら、続縄文後期(古墳時代)には、近代のアイヌ語に近いものであったとも考えられます。
もし、アイヌ語の起源が縄文人の言語と同じであるなら、その分岐年代は思っていたよりも古いのかもしれません。
(推測を元に推測をしているようなもので、疑問の余地は大きいでしょう。)

比較言語学が限界なら、考古学で考える?2008/11/10 17:09

言語の由来、起源を探るというのは難しいものです。

日本語の起源は、依然不明で言語の系統としては、独立した言語というのが一般的な見解でしょう。
それは、比較言語学という立場から日本の周辺言語と比較した場合、どこの言語とも対応しないということです。
これは、比較言語学の限界ということなのかもしれません。
しかし、日本語の祖語と、他言語の祖語とが共通であることを否定するものでもないと思います。

これまで、日本語のクレオールタミル語説(大野 晋氏)、日本語とアイヌ語の同系説(片山 龍峯氏)の文献を見てきて、なんとなく分かるようなところもあれば、懐疑的な点もあり、結果的には何か釈然としないままとなっていました。

ここ最近は、アイヌ文化に対して、それに関わる人の動きに注目していたのですが、上の二つの説に共通することが見えてきました。

1.語彙の対応に拘る(特に対応語彙数)
2.語彙の比較を文化的なものと対応させて考える
3.人の動きにはあまり触れていない

1,2については、なんとも言えない点もあるのですが、二つの言語が共通しているという前提で思考が働いている結果のように感じます。
もっとも気になるのは、3の人の動きについてあまり触れていないということで、大野氏に至っては「南インドから舟で、北九州に来た」などと言い、舟でこれそうな証拠は挙げていても、舟で来た痕跡といえるものは示していません。

言語の繋がりを前提に人の動きを考えると、数ある可能性の中から都合の良い条件を選択し取り入れる、という思考になっているように思えます。

考古学的な証拠などから、人の動きを読み取り、過去へと遡っていく間に他の文化、他言語の人との接触、影響などを考慮し、それでも同じところへ行き着くのであれば、同じ言語から由来していると考えられるのではないでしょうか。

文字が無い時代、人を介さずに言語が伝わるとはとても考えられません。必ず、人の動きを示す証拠が残っていると思います。

そういう視点で見ると、アイヌ語同系説はまだ可能性あり、クレオールタミル語説は絶望的、と言えそうです。

いずれにしても、人の動きに注目し、それを前提とした上で言語の関係が成り立つものではないかと、改めて考え直した次第です。