日本語 文字を獲得するまでの1万年① 渡来人の影響(7) - 縄文人は稲作をどう受け入れたのか?③2008/10/02 14:04

どうも考えがまとまらないので、『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』 池橋 宏 (講談社・選書・メチエ)を、少し読み返していたら、何となく見えてきました。

まず、『稲作渡来民』の中で、渡来系住人の人口増加率が高いことを指摘しています。
人骨形質からは、弥生中期(300年後)には、弥生系の住人の比率が80%に達するというということで、そのような人口比率になる数値実験の結果を紹介しています。
いくつかのパターンを紹介しているのですが、肝心の結論の部分の具体的な数値がいまいち理解できません。
少々、説明不足のような気もしますが、要約するとおそらく次のようになると思います。
初めから”混血集団”という形なのですが、男性はすべて渡来系、女性の約80%が縄文系であると、300年後に渡来系の人口が80%になる、と。
これは、渡来人が男性主体であったことを想定しています。

また、同書では流行病による縄文人の打撃についても指摘しています。

結論を出す前に、縄文人の集落の分離、合流について整理しておきます。
食料事情は十分ではなく、病気などでの死亡率が高かった縄文人にとって、集落を存続させることには、困難が多かったようです。
集落内での不和により、集落が分離するということもあれば、集落の人口減少による人手不足から、同じような事情を持つ他の集落と合流するということもあったようです。
理由は何にせよ、縄文晩期の人口は減少の傾向があったようなので、存続が危うい集落は、少なくなかったかもしれません。

ちょっと長くなってきたので、結論は次回に持ち越しです。

日本語 文字を獲得するまでの1万年① 渡来人の影響(8) - 縄文人は稲作をどう受け入れたのか?④/最終回2008/10/02 14:06

さて、タイトルとは少しずれてしまったような感もありますが、次のように結論してみます。

一部の縄文人集落が、渡来人の集団と早い時期に合流した。
縄文人にとっても、単独の集落では存続しがたい事情があり、渡来人は男性主体の少人数の渡来であったこともあり、渡来人だけでの存続も難しかった。
たとえば病気などにより、男性が少なくなってしまった縄文人集落は、渡来人との合流を積極的に歓迎したかもしれません。

早い時期から混血が進むが、流行病により縄文系の人の死亡率が高く、渡来系の人たちが多く生き残った。

それから、言語についての矛盾は、あまり明確な根拠が示せないのですが、言語についてはある意味で、女性の方が強いと思うのです。
子供の成長を見ても、女の子の方が言葉の発達が早いなど、男性とは言葉を関わる脳の発達が異なるようです。
もし、縄文人の女性達と渡来人の男性達の集団ができたとすれば、女性の言語が強く残るのではないでしょうか。

まてまて、自分で書いておきながら何か矛盾が・・。
女性の方が言語に対して能力が高いのなら、男性の言語への適応力も高く、そちらを習得しても良いはず。
いや、違うんです。女性は”言葉が強い”んです。
だからいいんです、きっと・・・。

さて長くなってしまいましたが、タイトルは「縄文人は稲作をどう受け入れたのか?」なので、

”渡来人が来た早い時期から、女性を中心に稲作を受け入れた。”

と、いうことにしましょう。

ただ、渡来人の存在を知りつつ、稲作を受け入れなかった縄文人の人達の姿が少なからずあるような気もします。
この様な人達(集落)も、いずれは渡来系の集落と合流するということになったのかもしれません。

日本語クレオールタミル語説は、やっぱり受け入れない2008/10/02 18:47

このブログを立ち上げた当初、大野 晋著『日本語の起源 新版』岩波新書 を、読み終えたところでした。

その時のブログにも書いた通り、タミル語説を受け入れるつもりは、もともと無かったのですが、他の研究者とは異なる着眼点というか、追求心のようなものを強く感じたことから、比較対象としていろいろ考察しようと思っていたのです。

しかし、考古学的、人類学的に分かっていることと、なかなか結びつかないので、比較のし様が無いという感じがしてきました。
そういう訳で、当初の考えとは軌道修正をし、原則として「日本語クレオールタミル語説」は、考慮しません。

ただし、大野 晋氏の研究姿勢と日本語に対する情熱に敬意を払い、氏への尊敬の念を抱いていることを付け加えておきます。

そこで、氏の編集した一冊を紹介します。
『考古学・人類学・言語学との対話 日本人はどこからきたのか』
大野 晋・金関 恕・・・編 岩波書店

タイトルの通り「対話」を編集した本です。
対話の形式は、大野、金関、ゲストの三人によるもので、金関は中立に近い立場での参加のようです。
ゲストは次の四人です。
・形質人類学・・・馬場 悠男
・縄文考古学・・・小林 達雄
・アイヌ語学・・・中川 裕
・朝鮮考古学・・・西谷 正

対話の流れとしては、大野が自説を唱え、それに各ゲストが答えるという形です。

感想としては、予想以上に面白かったのは、形質人類学にしても縄文考古学にしても、常に言語学を相手にした形で説明を迫られるので、他の書籍には、見られない表現があります。

結果としては、大野の説を真っ向から否定することもできないのですが、それを受け入れる証拠も無いというのが、全体的な印象です。
少々失礼な言い方かも知れませんが、誰からも受け入れられずに”かわいそう”な感じさえあります。

最後に、今年の7月に88歳でお亡くなりになられた、大野 晋氏にご冥福をお祈り申し上げます。