ポチ袋と間違え年賀ハガキを買う2014/01/02 15:11

久し振りの書き込みです。
この記事は、このブログの元々の趣旨からは、大きく外れているかもしれませんが、とりあえず思い立ったら、というか、事が起こったら書き込もうかと思います。

内容は、「認知症患者の行動記録」といったとこでしょうか。
詳しい話は、追々書き込むとして、まずは新年早々の出来事です。

2014年1月1日
義父(80歳)は、午前中、買い物に出かけました。
おそらく、普段通っているスーパーへ向かったのでしょうが、元旦は営業していません。
その為、少し離れたところにある、大手コンビニへ行き、食料品と共に、孫へのお年玉用のポチ袋を買いました。(買ったつもりでした。)

家に帰り、後日来る予定の孫の為に、家にはないであろうポチ袋を買ってきたことを話始めますが、その手に持っているものは、裏に絵が描かれた年賀ハガキでした。(5枚入りを2袋)

実は、ポチ袋を買ったつもりである事を、こちらが理解するのにも、少々の時間を要したのですが、とにかく間違いであることを告げ、理解してもらいました。

要らないものと判れば、返したくなるのようで、それならレシートをちゃんと持っていくようにと、念をおしました。
しばらくして、1枚のレシートを手にしつつ、それ(ハガキ)が載っているレシートがない、とのこと。
その物をハガキと認識していないのか、レシートの字をちゃんと読めていないのか、あるいはその両方なのか…。

説明をして、一応は理解したのか、返却しに出かけて行きました。
問題は、ここからです。


帰ってきてからの最初の一言は「誰も居なかった。」です。
どうやら、そのコンビニに行く途中にある、閉まっている郵便局へ行き、返品しようとしたようです。

ハガキを返品するので、郵便局を連想するのは、ある意味間違いではありませんが、今現在、起こっている事と、直接関係のない、過去の出来事や、一般的な事柄と混同したり、すり替わったりするという、記憶に関わる認知症の典型的な例と言えるでしょう。

ここで、郵便局は間違いだと気づいてもらう為に、食べるものを一緒に買ってきたことを思い出してもらいます。そして、郵便局には、食べる物は売っていないということを、敢えて口にして理解してもらいます。
それで理解してもらえたようで、あらためて返品の為、出かけて行きました。

しばらくして帰ってきました。
上記の※印のところからの繰り返しです。

そして3度目の返品へ、出かけて行きました。
とりあえず、ここまでです。
その後、私自身が出かけてしまったので、その結果がまだわかっていません。
夜、聞いてみても良かったのですが、すんなりと話が返ってくるものではないですし、いろいろと忙しかったのとで、放置状態です。

また、周りの人間が、この結果にこだわらない方が良いだろうというのが、今の私の考えです。
その内、わかる機会が訪れるかもしれないし、お互いに忘れたまま過ぎるかもしれません。

休業中、その言い訳と今後について2013/04/17 15:26

 長いこと更新していませんでした。
 昨年の1月が最後なので、1年4ヶ月程です。

 このままフェードアウトというのも何なので、ちょっとだけ気持ちの整理をしてみます。
 まずは、本題である「まだ文字もない頃の日本と日本人、日本語…」について。

 自分なりにいろいろと書籍を読み、それなりに理解を深めたつもりですが、すべての疑問が解けたとは言い難いものがあります。
 ただ、疑問を追求するあまり、脱線というのか、少し違う方向に進んでしまっている事があったように思います。
 専門家には、専門家の得意分野があり、それぞれの立場からそれぞれの見解があります。視点が異なる為、他の分野の見解や諸説には、異論を唱えることも少なくありません。
 もちろん、それらのやりとりは、真実を追求するために必要なプロセスであり、我々素人にとっても興味深いところは多々あります。
 しかし、時にはそのやりとりがエスカレートするのか、本来の事実を追求するという事を超え、他者とその見解を攻撃するかのようなことが見受けられます。

 一昔前にテレビの深夜放送で人気があったように、議論を交わし、時にはヒートアップする様は、見ている方にとって楽しいこともあります。
 しかし、そういったやりとりも、中身が伴わなければ、ただの見せ物であり、見ている方には飽きられ、呆れられます。

 この様に書くと、全て他人のせいにしているように聞こえるかもしれませんが、このようなやりとりから、私なりの結論のようなものを導き出したのが実際のところです。
 「わからないことは、永久にわからない。わかることも、わかるまでには時間がかかる。」

 わかることと、わからないことを判断し、わからないことを無理に追求しない。また、わかることも、今すぐにわかることと、わかるまでには時間を要することとを判断し、必要ならその時を待つ。

 まるで全てを悟ったような言い方かもしれませんが、これはある意味、焦っていた自分への戒めです。
 探究心そのものが完全に失せてしまった訳ではないので、新聞記事や、テレビの情報番組など、関連することがあれば目を通しています。
 ただ、それをここで書き込むには、小さなことと感じているのか、一時ほどの熱意がない為なのか、そこまでには至りませんでした。
 今後、どのようにこのブログを進めていくのか、はっきりした考えはありません。ただ、閉鎖する理由はないので、当面そのようなことはありません。
 もしかすると、これを書いていることで、少し気持ちの整理ができ、何か書けるようになるかもしれない、そんな気もするような、そうでもないような…。

 次に、直近ではもっとも多い話題として、LED電球を中心とした省エネに関する話題です。
 全てを紹介しきれていないと思いますが、我が家のLED電球への交換は、ほぼ全てが完了しています。
 もちろん、蛍光灯、とくに直管型の蛍光灯は、LEDへの交換がまだ難しいので、それらは交換の対象外です。
 新しい製品は、日々登場するので、それらに対する好奇心からは、まだまだやれることがあると思っています。
 ただ、それは省エネというよりも、物に対する好奇心であって、ある種コレクションのようなものです。
 そういった楽しみは楽しみとして良いのですが、そんな余裕はないのが現実です。

 元々、「長期的に見て電気料金を下げる。」なおかつ、「その為の投資は、最小限に。」というのがモットーです。
 実際のところ、一定の目標は達成していると言えます。

 まるで、「もう書く事はありませんよ。」と言っているような感じになってきましたが、閉鎖はしません。
 なぜ、しばらく書けなかったのか、その言い訳のようなものです。
 逆に言えば、今後、書き続けるには、新たな話題が必要ということになります。
 それは何か…まだ、わかりません。
 これを書いていて、わかったことは、新たに書き始めるなら、主に新しい話題が必要で、そうでなければ、もうしばらく沈黙が続くでしょう、ということですね。
 前向きに捉えれば、新たな出発へ向けての宣言、ということになります。

LED電球への交換⑰-和室の電気スタンド2012/01/10 22:46

 義父が使用している、かなり年季の入った電気スタンドです。おそらく、40~50年前の代物ではないでしょうか。
 使用してた電球は、レフ型の白熱球で、印刷がはげてしまっていて消費電力はわかりませんでした。
 おそらく、40W程度だと思います。
 どの程度の利用頻度なのかは定かではありませんが、時々は利用しているようなので、そのままにしておく訳にはいきません。
 ここは、毎度おなじみのオーム電機のLED電球を使用しました。(ダイニングのペンダントライトと同じものです。)

 オーム電機 LDA6L-H31
 電球色、325ルーメン
 消費電力:6.0W

 購入価格:¥798.-(通常¥980.-)

 留守の間に黙って交換しましたが、特に問題はないようです・・・。もしかすると、あまり使っていないのかも知れませんが・・・。でも、絶対に気づかれないという確信があるんですけどね。(謎)