東北北部と中国北東部の文化の共通性とアイヌ語②2008/11/24 21:07

前回は、ちょっとした思い付きから、もしかしたら中国北東部と言語的な繋がりがあるのではないか、などという”一人ボケ・ツッコミ”をしてしまいましたが、もう少しだけ”ツッコミ”を入れてみます。
と言いたいところなのですが、これがなかなか難しいのです。

中国北東部から、東北北部へ渡来して、言語への影響がそれ程あったとは思っていないのですが、それを証明するというのも難しいのです。

まず、ミトコンドリアDNAに関して見てみた場合、中国北東部と、日本本土や、アイヌとの共通点はあります。
しかし、少なくとも日本本土との共通点については、縄文晩期以降の渡来人によるものと考えた方が無難です。
また、アイヌを含めて考えても、縄文時代以前に日本列島へやってきた人達は、中国北東部の人達の祖先と関わりがあるでしょう。

すると、アイヌにあって、北海道縄文人に無いものが、縄文時代に相当する中国北東部の人にあれば、可能性はあるかもしれません。
しかし、アイヌについてもDNAの情報が少ないですし、ましてや中国北東部の人のDNAについては、まったく分かりません。

ただ、少し話しが逸れますが、一つ発見がありました。

ハプログループYは、カムチャッカ半島や北東シベリアの先住民から見つかりました。
本土日本人には、このYを持つ人はほとんどいませんが、アイヌの人たちには多く含まれています。
擦文時代に、オホーツク文化(後にドビニタイ文化)が、同化して消えてしまったときに、オホーツク人との間に混血があり、後のアイヌ人へと受け継がれた証拠といえるでしょう。
これは、オホーツク文化が、後のアイヌ語へ大きな影響を与えた可能性が、十分にあるといえるでしょう。

さて、中国北東部からの渡来については、どうもすっきりしません。
約1万年も続いた縄文時代ですから、その間に大陸との人の行き来が少なくはなかったと考えた方が良さそうですが、その時期や人数などについては、推測すら難しいようです。