地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」⑤・・・状況証拠の積み重ね?2009/04/12 15:58

『縄文語の発掘』(鈴木 健著)のごく一部、北茨城市の平潟(ひらかた)という地名の由来について、簡単に説明してきました。

この文献では、同じようにアイヌ語を縄文語と見立てて、全国各地の多くの地名を読み解いています。
時には、「古事記」「日本書紀」「風土記」や「和名類聚抄」など、古い文献を用いて、かなり幅広く、且つ深く掘り下げて推論しています。

しかし、推論であって、それ以上ではないという感じがします。
否定的に捉えている訳ではありません。
むしろ、よくここまで調べたものだと、感心するところも多くあります。

私自身、「地名」というものを深く考えたことはありませんでしが、何かで見聞きした話においても、地名の由来を「漢字の意味」で捉えることが当たり前になっていたように思います。

もちろん、漢字の意味から付けられた地名というのも、全国にはたくさんあると思います。
しかし、地名の付いていない所や、地名の分からないところを、誰かに知らせるときにどのように話をするでしょうか?
ある程度、年齢を重ねてくると知識や理屈が先行してしまい、なかなか発想しづらいかもしれませんが、子供の頃を思い出して見ると、何となく見えてくるような気がします。
地形など、見たままの形や大きさ、見た目の感想など、何気ない言葉を使って話すのではないでしょうか。

例えば、他には無いくらい大きな岩があれば「大岩のところ」とか、そんな発想ではないでしょうか。
(しかし、それを日本語(漢字文化)で考えてしまうと、また少し意味が違うものになってしまうような気がします。うまく説明できませんが、漢字の意味で考えるという、当たり前の発想が、このことの理解を妨げている気がしてきました。これは、またの機会に・・・。)

先ほど、推論にすぎないと書きましたが、縄文語の文献という物的証拠が存在しない以上、それはやむを得ないでしょう。
しかし、鈴木氏は、いろいろな角度から”状況証拠”を数多く積み重ね、結論を出しているように思えます。

事件に例えるなら、これだけ状況証拠を揃えれば、逮捕状も取れるし、起訴もできる、裁判で有罪となることも可能なのではないでしょうか。


最後に、このような考え方は、「(言語)学者」と名のつく方達には、受け入れがたい発想のように思えます。個人的には、とても気に入っているのですが・・・。

地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」④・・・「潟」は「方」で場所を示す2009/04/11 16:57

次に、「平潟(ひらかた)」の「潟」ですが、「潟」を入江と解釈するのは、関西方言によるもので、当てはまらないだろうということを、前々回(地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」②)に取り上げました。

室町時代の文書では、「平方」で、江戸時代になってから「平潟」の字があてられるようになったとのことです。
(”室町時代の文書”が、何なのか示されてないのが、気になります。)

よって、「潟」は当て字であって入江ではない、ということです。

そこで、「平方」として、「方」の意味を考えます。
【方角・方面を指す使い方】
 東方(ヒガシカタ)は、東の方角。
 上方(カミガタ)は、京阪方面。

【場所を指す使い方】
 山方・野方・田方・・・山のところ(野のところ? 田のところ?)

「平方」は地名なので、方角・方面を指す使い方よりは、場所を示す意味で考えるべきで、「崖のトコロ(上)」と解釈しています。

「方(カタ)」を、トコロとか上という意味があるのは、アイヌ語のka-ta(か-た)に分解して考えると分かるということを、一回目(地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」①)で、示した通りです。


以上のように、簡単にまとめてみましたが、何となくでも理解できたでしょうか?
最後に、この考え方に対する私なりの見解で締めたいと思いますが、それは次回にとっておきます。

地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」③・・・崖を意味する「平」2009/04/10 21:42

まずは、「平潟(ひらかた)」の「(平)ひら」が、平らではなく、「崖」を意味する理由について、方言、古典、地方の地名を取り上げています。

【方言】
鹿児島県では、崖を「ヒラ」と呼ぶ。(『方言辞典』より)
東北地方北部、伊豆諸島、上越地方、九州東南部では、急斜面をヒラと言う。
沖縄では、坂のことをヒラと呼ぶ。

【古典】
「黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)」(『古事記』)
「泉津平坂(ヨモツヒラサカ)」(『書紀』)
いずれも、イザナギ神話に出てくる、この世とあの世の境のことで、平らな坂であるはずはなく、奈落の底へさか落としになるような断崖、あるいは急坂を考えられていたに違いない。

【地名】
・北海道門別町の「平賀(ヒラカ、アイヌ語でpira-ka ピらカ[崖の上])」そこについて、松浦武四郎の『戊午(ボゴ)日誌』に出てくる「平山(ヒラヤマ)」「平崩(ヒラクズレ)」、『東蝦夷(ヒガシエゾ)日誌』の記述にある「平」は、崖ということでなければ意味がとれない。

・ひたちなか市の平磯(旧平磯村)
『角川地名茨城』では、「三方を丘陵に囲まれ海に面した東側一帯の平地」の事を平磯としているが、平地ではなく、その丘陵の崖がヒラで、その下の岩場が平磯ではないかと推論。

・北海道古平町(フルビラ、hur-pira ふル[丘]-ピら[がけ。土が崩れて地肌のあらわれている崖。])
痛ましいトンネル災害があった所で、アイヌの人たちがつけたこの地名が、崩落の危険があったことを予知していた。

・全国各地の平川・平沢・平谷・平井・比良山など
平が崖を指していると思われる地名がある。


これらは、崖を意味する言葉として、ヒラ(ピラ)が日本全国で使われており、それが各地の地名となってあらわれ、地名に漢字を当てる際に、「平」という字が多く用いられた、ということなのでしょう。