言語の移り変わりは難しい!?2008/10/30 17:53

私は、日本語の起源を考える上で、「方言」をかなり重視しています。
方言には、形を変えて古い言葉が残っているようですし、古い文献からは分からないことも、教えてくれるものと考えています。

『日本語 文字を獲得するまでの1万年』の流れで、方言について書き始めたところ、行き詰ったのです。
正しくは、書き始める前から行き詰っていたのです。
理由はいくつかあります。

一つは、方言についての理解が浅すぎるということ。
小泉 保氏の『縄文語の発見』は、多くの面で納得ができる内容なので、それを元に書こうという考えもあったのですが、どうもただ本をなぞるだけの内容しか思いつかないのです。
これでは、意味がありません。
ただの、本の紹介、解説のようなものです。

もう一つは、書く姿勢の問題です。
まるで、本の原稿でも書くかのような、順序立てた構成を考えてしまいがちで、元々行き当たりばったりの書き方をしていて、後から順序立てようというのは、無理があります。

「小さな事柄を積み上げて、最終的な結論を得る」、そんな姿勢だったような気がしますが、力不足で積み上げられなかったといったところでしょうか。

それが無理なら、先に結論から入ってしまおう、というのが今の流れです。
あまり細かいところは気にせずに、大きな流れで考えて、思いつくまま書き、後々、それを掘り下げて少しずつ真実味を増してゆく。
もし、誤りに気づいたときには、躊躇せずに軌道修正する。
だから、まるでメモを取るかのように思いつくまま書いてみて、後で調べてみたら、どうもおかしい、とうことになっても良いと思っているのです。

ブログということを考えれば、これは当たり前のことかもしれません。
今までが、ブログらしくない姿勢で書いていたとも言えるのでしょう。

考えがまとまって、それ相応の筋道が立てられたら、ホームページでも作れば良い訳で、このブログはそれまでのノートのような役割と考えれば、あまり思い悩むことも無い、そんな心境です。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://jimdon.asablo.jp/blog/2008/10/30/3857714/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。