日本語 文字を獲得するまでの1万年② クレオールタミル語説(4)/縄文学との対話2008/10/07 23:14

縄文学の対話というとこで、今回は小林 達雄氏(専門は縄文考古学)の登場です。

小林氏は、大野氏の著作に目を通しているということで、小林氏が話しをうまく合わせているような印象を受ける対談になっています。

細かいところを挙げてもキリが無いので、なるほどと思わせる小林氏の発言を引用したいと思います。
小林「先生(大野氏)のお仕事では、縄文からの流れがあまり強調されないで、弥生から非常に日本語的な体系が整っていくのだといういお話ですが、その土台は一万年以上続いた縄文語があったからだというふうに私は考えたい、これが先生とはだいぶちがうところです。」

縄文時代の言語である縄文語は、文字も無い時代なので証拠と言えるものは残っていません。
それでも、小林氏のように縄文学を専門にしているとさまざまな状況証拠から、縄文時代にも十分、体系的な言語が存在し、たとえ渡来人が異なる文化(言語)を持ってやってきたとしても、そう簡単に言語が入れ替わるものではない、という考えのようです。

一方、大野氏は、縄文時代の言語は証拠といえるものが残っていないゆえに、縄文語を軽視している印象があります。
大野氏自身、「『弥生文明と南インド』の中で縄文語には全然ふれていないのは、具体的な縄文語はまったくわからないから」と発言しています。
先ほどの小林氏の発言は、そのようなところを一言で表したものといえるでしょう。

記録として残っていない以上、確実な縄文語というのは永遠に理解することはできないとは思いますが、日本各地の方言の違いに着目し、そこから推測することは可能だと思っています。
その辺りのことは、追々まとめていきたいと思っています。

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