「顔」の事、「カオ」「ツラ」「チラ」・・・なんと呼ぶ?2008/09/25 15:17

「顔」のことを、なんと呼びますか?

私は神奈川出身ですが、「カオ」「ツラ」の両方使いますね。
普通は「カオ」を使いますが、「ツラガマエ(面構え)」とかいいますね。

『日本言語地図』というものによると、地域によって次のようになっているそうです。
 東北地方・・・「ツラ」
 関東(近畿の一部)・・・「カオ」「ツラ」の共存
 近畿・中国・四国・・・「カオ」
 九州南部・・・「ツラ」
 沖縄・・・「チラ」

大まかに見ると、日本の中心が「カオ」で、北と南が「ツラ」、境界に共存する地域があるということですね。

もともとは、日本全国「ツラ」であったのが、近畿から新しい言葉「カオ」(古くは「カホ」)が発信された名残ということのようです。
もともと、縄文時代の言葉(縄文語)が「ツラ」で、渡来人の影響を受けてできた弥生時代の言葉(弥生語)が「カオ(カホ)」という見方ができます。
ちなみに沖縄の「チラ」は、「ツラ」から変わったようです。

この「カオ」と「ツラ」、方言周圏論に一致する語のひとつとのことで、まだ他にも同じような語があるようです。
そうすると、例えば青森と鹿児島の方言には、共通点がたくさんあるということになりそうなのですが、どうなのでしょう?

以上、『縄文語の発見』小泉 保 青土社、を参考にしました。

日本語 文字を獲得するまでの1万年① 渡来人の影響(2)2008/09/25 21:42

渡来人が来た、とにかく来た。
いつ、どこに、何人くらい・・・など、大体の事しかわからなくても、考えられることはあるハズ。

渡来人の言葉が、在来人(縄文人)にどれだけ影響を与えたのか?
また、逆に縄文人の言葉に、渡来人はどれだけ影響を受けたのか?

渡来人の生活を想像しながら、考えてみます。
いろいろな証拠や、説があるとは思うのですが、あまりとらわれずに自由に想像を膨らませてみたいと思います。
まずは、疑問点を列挙してみます。

・渡来人の住居はどこに? 縄文人との競合は?
・すぐに稲作を始められたのか?
・当面の食料調達は?
・縄文人から教わったことは?
・縄文人に稲作を教えたのか?
・縄文人との会話は、どちらの言語で?

まだまだありそうですが、ちょっと今は思いつかないので、また次回に。

日本語 文字を獲得するまでの1万年① 渡来人の影響(3)2008/09/26 17:05

「日本語」から、ちょっと脱線しているような気がします。
しかし、渡来人の生活考慮しないと、在来の縄文人との交流もわからず、言語への影響もわかりません。

当初、渡来人が住み着いた土地は、在来の縄文人が生活していた土地とは違い、入り江や潟のようです。
稲作をするにも最適であり、在来人との衝突もなかったのでしょう。
また、漁労を行うにも最適です。

さて、稲作を始めるにしても、種籾や農耕具などは持ち込んだとしても、開墾するには、時間と手間がかかったことでしょう。
また、収穫までには、最短でも数ヶ月は必要なので、それまでの食料は在来人と同じ物も少なくないのではないでしょうか。
渡来人が山へ木の実などを取りに行くと、そこへ在来人が・・・、なんてこともきっとあったハズです。

渡来人が侵略的であったという話はないようなので、そこで在来人を襲うということはおそらく無かったのでしょうが、逆に渡来人が襲われるということは、無かったのでしょうか。

あまり根拠の無い話ですが、外来人に対する近代の日本人の対応、態度をみれば、もし二千年前から同じような気質であるなら、襲うなんてないでしょうね。

お互いに友好的であるならば、コミュニケーションの手段が必要になります。
基本的には、どちらかが相手の言葉を理解しようという方向になると思うのですが、さてどちらの言葉が有利なのでしょうか?

在来人は、渡来人を恐れていたのでしょうか、また避けていたのでしょうか? それとも強気でいたのでしょうか?
例えば、渡来人の存在に気づいた在来人が、周辺地域から仲間の縄文人を集め、渡来人の集落へ向かった、なんてことがあったのでしょうか?

どちらの立場が上か下かというと、ちょっとニュアンスが違うような気がしますが、お互いが生活する上でどちらが有利であったか不利であったが重要なのでしょう。

渡来人は、稲作という新しい技術を持ってきたとはいえ、すぐに豊かな生活ができたとは思えないので、在来人に頼る場面もあったかもしれない。
そうであるならば、渡来人は在来人の話す言葉(縄文語)を覚えるべく、縄文人の言葉に耳を傾けたのではないでしょうか。