『先史沖縄人「縄文」と一線』(読売新聞2009年4月3日付)2009/04/04 19:01

新聞記事からの話題です。
タイトルは、読売新聞の記事をそのまま引用しました。
(昨日、途中までしか書けなかったので、一日遅れとなりました。)

記事によると、沖縄諸島における貝塚時代の人々(貝塚人)は、縄文人の直系ではなく、身体的、文化的にも異質で多様性がある、ということです。

貝塚時代とは、11~12世紀までの狩猟・採集文化で、縄文文化の伝統を色濃く引き継ぎ、身体的な特徴も縄文人から引き継がれていると考えられてきましたが、そう単純なことではないようです。

記事の中で最も気になったのは、ミトコンドリアDNAの分析結果で、県内3遺跡の人骨20体からは、多様な型の混在が確認され、縄文系の型、台湾の先住民につながる型など、遺伝的に均一ではない可能性があるとのことでした。

その他にも、縄文文化との違いとして、抜歯風習の違いや、葬送風習の多様性が取り上げられています。

人の流入や、文化の流入は、いつの時代でも考えられることなので、たとえ、台湾の先住民の祖先が、沖縄へやってきたとしても、おかしなことではないと思いますが、いつやってきたのかが、気になるところです。

この記事だけでは、読み解くことはできないので、縄文時代以降にやってきたとも、それ以前にやってきたとも考えることができます。

いずれにしても、人の流入があれば、言語への影響も考えられます。
琉球方言を、日本語の方言と捉えれば、その言葉の原形は日本語ですが、必ずしも本土からやってきた言葉だけであるはずは、ありません。
縄文時代から使われてきた言葉が、形を変えて残っている言葉もあるでしょう。
(『縄文語の発掘』の鈴木氏に言わせると、これがアイヌ語に近い言葉なのかもしれません。)

更に、台湾の先住民の言葉も、形を変えて残っているかもしれません。
もちろん、台湾に限らず、東南アジアも全く無視できる訳でもなさそうです。

知れば知るほど、複雑な状況を目の当たりにし、頭の中は混乱するばかりです。