横浜歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園2009/03/02 20:41

昨日、横浜歴史博物館と、大塚・歳勝土遺跡公園へ行ってきました。
いつでも行ける距離にありながら、なかなかきっかけが無かったのですが、ようやく行けた、という感じです。

場所は、横浜市営地下鉄のセンター北とセンター南の間で、まさに港北ニュータウンのど真ん中というところにあります。
横浜開港150周年の年といことで、企画展もやっていたのですが、今回は常設展のみの観覧です。

常設展は、時代ごとにブースが分かれており、原始①、原始②、古代、古代、中世、近世と近現代の6つです。
原始①が、先土器時代から縄文時代、原始②が弥生時代ということで、この2つを中心に見てきました。

今まで、本の中ではいろいろと見てきましたが、やはり現物をみると、また印象が変わってくるものです。
当然ながら、横浜市都筑区とその周辺の遺跡から出土したものの展示となるので、今まで取り上げてきた日本人の起源に直接関わるようなものはありませんし、そこに過度の期待をしていた訳でもありません。

面白い展示がたくさんあったのですが、中でも遺跡を再現したジオラマ(模型)がよく出来ていて印象的でした。

また、大塚・歳勝土遺跡公園は、博物館の屋上から歩道橋で歴博通りを渡った先にあり、歩いて行けます。
大塚遺跡は、弥生時代の環濠集落で、6棟の竪穴式住居と1棟の高床式倉庫が再現され、竪穴式住居の中に入ることもできます。
また、環濠に囲まれており、その深さや幅、環濠に囲まれた広さを体感できます。
歳勝土遺跡は、方形周溝墓の遺跡で、その大きさ、高さが体感できます。

大塚遺跡の竪穴式住居のすぐ近くには、ノースポートモール(センター北駅近くの大型ショッピング・モール)があり、そのコントラストがとても不思議な光景でした。
しかし、考えて見たら今でこそ大型のショッピングモールや、市営地下鉄(この辺りは高架ですが)が走っていますが、30年前は森ばかりで、家や道路すら少なかったのですから、随分と変わったものです。

横浜歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園②2009/03/03 21:19

大塚遺跡を、上空から眺めてみたいと思い、Google Earthで確認してみると、だいぶ勘違いしていたことがわかりました。

まず、現在の大塚遺跡は、その環濠の面積だけ見ても、半分も残されていないようでした。
これは、歴史博物館でもらってきた資料に写っている大塚遺跡の全景写真と見比べたことによる目視判断なので、正確なところはわかりません。

それにしても、その資料の全景写真は、遺跡の周囲は森に囲まれており、住宅などの建物は、だいぶ離れたところに少し写っているだけです。

Google Earthと見比べても、とても同じ場所とは思えないくらいの変貌です。
30年くらい前の、この辺りの雰囲気は、なんとなく分かっているつもりなので、全景写真の景色は理解できるのですが、それにしても変わりすぎている気がします。

ちなみに、私の推測では、大塚遺跡の半分以上は、大きく掘り下げられ、歴博通りとノースポートモールが建っています。

「見る影も無い」とは、まさにこういう事を言うのではないでしょうか。

『世界の言語入門』・・・タイトルと中身は違う?2009/03/16 17:07

なかなか面白い本を見つけました。
『世界の言語入門』(黒田龍之助:講談社現代新書)です。

言語に関わるブログなどと言っておきながら、最近はすっかりと考古学的な話が多かったので、久しぶりのような感じがします。
もっとも、考古学的なことについても、まとめようと思いつつ(たぶん、ここにも、まとめると書いた気がする)、全然まとめられていませんが・・。

それはさて置き、本屋で何気なく眺めていて見つけました。
タイトルからして、ちょっと堅めの本かとも思ったのですが、中を見てみて、そうではないことが気に入り買ってみました。

「言語入門」といいつつ、その言語の特徴などは、まったく分かりません。
その言語にまつわる著者の身の上話のような、エッセイ集です。
だから、何が「入門」なのか賛否両論あるようで、その辺りのことは、Amazonのレビューにいくつか書き込まれていたので、そちらも参考にしてもらうとして、私個人としては、正しいような気がします。
今まで、気にも止めた事のないような言語を知るきっかけになるのではないでしょうか。
もっとも、ある言語が気に入ったとして、もうちょっと知りたいと思っても、気軽に読み始められるような本は、なかなか見つけられないかもしれません。

ちなみに、このブログで過去に取り上げた「タミル語」も載っています。
書き出しの部分を引用してみます。
「タミル語は不幸な言語である。日本語の起源に取り憑かれた国語学者とその支持者によって、妙な取り上げ方がされてきたからだ。」
著者はこのあと、タミル語の日本語起源説に批判的でありながら、タミル語について何も知らないと白状しているところが、なんともおかしい。

突拍子もない説とも言えるので、見る人によっては、言語を知らなくてもおかしいと気づくし、その奇抜さに魅力を感じる人もいる、ということなのでしょう。

なんにしても、特定の言語に固執してしまいがちな人達が多い中、世界中の言語を広く見渡すような姿勢が、著者の魅力なのでしょう。