地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」②・・・平らな波の入江?2009/04/09 17:16

前回、「平潟」という地名を、漢字の意味で考えると、その地理にそぐわない、と書きましたが、そのことについては、次のように説明しています。
(『縄文語の発掘』鈴木 健著より)

まず、「平」と、「潟」を、『広辞林』で調べています。

「ひら(平) (一)平らなとこ。平らな所。」
「かた(潟) (一)潟湖(せきこ)。 
        (二)遠浅の海岸で、満潮に隠れ干潮に現われる所。ひがた。
        (三)(関西方言)浦。湾。「松浦-」。」

また、『角川地名茨城』の「平潟漁港」では、
「三方が台地に囲まれ集落が密集する。湾口が北東に向く県北端の天然の良港、地名は波の平らな静かな入江を意味する。」と。

これに対して、「平らな波」に疑問を抱きつつ、「潟」を関西方言である(三)の浦(入江)と解釈していることに、無理があると指摘しています。

そして、鈴木氏から見た「平潟」の地形には、「平ら」という言葉の持つイメージには縁遠く、「三方が台地に囲まれ」起伏に富んだ崖が入り組み海に迫る景観があるのみ、と言っています。

以上のように、地名の由来は日本語(漢字)ではなく、「平」「潟」という漢字は当て字であって、元々は「ひらかた」または、それに近い発音で呼ばれていた地名であろう、という結論です。

しかし、「平潟」のことを、「ひらかた」と読める字(漢字)で書き記した古い文献があれば良いのでしょうが、それは見当たらないようなので、「ひらかた」と同じように考えることができる(と思われる)、全国の地名を取り上げることにより、上記の結論を補っています。が、それは、また次回に・・・。

地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」①・・・ポニョは居ないが崖の上?2009/04/08 21:32

相変わらずのスローペースで読んでいるので、いまだ読み終わらない『縄文語の発掘』ですが、あともう少しで読み終える、というところまできて、やっと理解し始めたような気がします。

そこで、その理解を確実なものとする為に、あえてページの最初の方へ戻り、著者の考えを整理してみたいと思います。

原文のタイトルは、「1 平らでない平がある」、です。

これは、北茨城市「平潟(ヒラカタ)」という地名について、その意味を考え、解説しています。

説明が丁寧でもあり、また他の説に対する批判もあったり、関連する他の地名を取り上げたりと、寄り道の多い説明なので、一度読んだだけでは、なんだか良く分かりません。

そこで、まず結論から言うと、平潟(ヒラカタ)という地名を、漢字の意味で考えるとその地理にそぐわないが、アイヌ語で考えると、意味が理解できる、ということです。(アイヌ語は、縄文語を起源とし、その言葉を多く残している、という考えに因ります。)

平潟(ヒラカタ)の語源は、アイヌ語のpira・ka・ta(ピら・か・た)ではないか、ということです。
意味は、
 pira(ピら)[ がけ。土がくずれて地肌のあらわれている崖。 ]
 ka(か)[ ・・・のうえ。上面 ]
 ta(た)[ 《指示代名詞》 そこ。]
から、日本語流に言うと、
 「崖のうえの(その)ところ」
ということです。

さて、なぜそのようなことが言えるのか、その理由、考え方については、一度では説明しきれないので、何度かに分けて説明したいと思います。
ちなみに、タイトルに出てくる”ポニョ”は、全く関係ありません。

日本語、アイヌ語、縄文語の関係2009/03/27 20:33

最近、ますます分からなくなってきたので、分からない事を書いてみます。

『縄文語の発掘』の鈴木 健氏は、縄文語と日本語(弥生語)は、ある程度、別物と考えているようです。
どの程度か、については今のところ良く分からないのですが、東日本(関東)においては、西から来た日本語(弥生語)話者が、土着民の言語、縄文語を習得する過程があったことを述べています。
そこで、縄文語で話されていた地名が、当て字としての漢字が割り当てられ、現在の地名の元となった、ということです。

これは、現在の北海道の地名の多くが、アイヌ語による地名が元になっており、音を合わせるように漢字を当てたのと、ほぼ同じ考え方と見て良いでしょう。
これらの地名は、漢字を知っているだけでは読めないような当て字をしている地名が多いのは、地図を少し眺めれば分かると思いますが、東北より南(西)では、それ程でも無いように思います。

これは、漢字を割り当てられてからの年月の違いと考えることもできそうです。
もしかすると、現在の北海道の地名も、長い年月を経ると、漢字そのものの発音に近い読み方に変化していくのかもしれません。
例えば、札幌(SAPPORO)が、さつほろ(SATSUHORO)に、長万部(OSYAMANBE)が、おさまんぶ(OSAMANBU)になるかもしれません。

ただ、現代社会では文字情報に限らず、音声情報など数多くの情報として記録されているので、そう簡単には変化することも無いとは思いますが・・・。

しかし、いくら文字情報として記録されている発音と異なっていても、多くの人々が同じように発音するようになれば、そちらに変更せざるを得ないことになるでしょう。
確かな記憶ではないのですが、どこかの地名か何かの読み方が、記録上の読み方と、人々の読み方で異なってしまい、記録の方を変更する(した)という話が、どこかの町(村?)で、あったような気がします。