『旧石器時代人の歴史-アフリカから日本列島へ』(竹岡俊樹:講談社選書メチエ)①-石器だけでこれだけの事が分かるとは!2011/05/12 16:14

 久しぶりに中身のしっかりとした本に出会ったような気がします。
 冒頭でも述べられているように、本書は”石器の分析だけを手掛かりとして”旧石器時代に切り込んでいきます。
 一般書に見られるような旧石器時代人の復元図、例えば、槍をかざして集団でナウマン象を狩猟する旧石器時代人や、直径数十メートルもの環状の集落に集う旧石器時代人など、確たる証拠もなく、研究者たちが現代の知識で解釈した「現代人の想像の産物」を排除しよう、ということです。

 石器の分析だけでいったい何が分かるのだろう?
 石器に関する知識の全くない私にとって、このような印象と、ちょっとした挑戦状を叩きつけられた感覚で、読み始めたのですが、これが侮れませんでした。

 詳細については、後日機会があれば取り上げたいと思いますので、今日は、大まかな話だけにしておきます。

【石器の分類】
 石器にも、いろいろな形があり、その形によって役割、使い道があるものだと思っていましたが、どうやらその発想は間違いのようです。
 ある石器に「使い道」を割り当てる時点で、既に現代人による”想像”が介入しています。
 では、どのように分類するのか?
 それは、石器の製作技法や、製作工程の違いを見分けることだというのです。
 旧石器時代にも多くの文化があり、その文化の違いによって、剥離の仕方の違いから、製作工程の違いがあるということで、単純な製作工程が徐々に複雑な製作工程へと変化したということです。

【石器の製作工程と言語の獲得】
 20万年前ごろ、人類は簡単な二重文節の言語をしゃべっていた可能性が高い、といいます。
 これは、この頃から製作される石器に変化があり、二重文節と呼ばれる言語の構造と、同じような構造が石器を作る作業に現れたからだといいます。
 言語構造の変化から石器製作の作業構造が変化したのか、それとも石器製作の作業構造の変化が、言語構造の変化を促したのか、とても興味のあるところですが、そこまでのことは本書では扱っていません。
 もっとも、同時進行ということも考えられますが・・・。

 余談ですが、この記事を書くのを中断して、まる一日経ってしまったら、調子が狂ってしまいました。
 書こうという思いが有りつつも、どう書いてよいのか分からず、躓きかけていたのが、スッキリしたので、それはそれで良いのですが・・・。(ただ、書きたい事が何だったのか??)

【研究手法とて見習うべきところが多い】
 冒頭にも書いたように、研究の元となっているのは、石器だけです。
 それだけで、旧人を含め、人類が日本列島へいつ、どの方角からやってきたのかまで、考察ができているは驚きです。

 私が今まで読んできた本には、「どこどこの誰が、こう言っていた」といった、他人の研究の上に自らの考察を乗せるような書き方をするものが多く、どこか”ぼやけた結論”になっているような印象が多かったのですが、本書は違います。

 もちろん、石器だけから何でも分かる訳ではありません。
 しかし、分からないことは、はっきりと”分からない”として、下手に他人の研究を引っ張り込み、むやみに結論を出そうとしないところが、潔いともいえます。

【日本人には旧人の血が流れている!?】
 思わせぶりなタイトルですが、はっきりとは分かりません。
 本書では、旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)と、ホモ・サピエンスが、同時期に同地域に存在していたであろうという証拠を示しています。
 だからといって、交雑があり、我々現代人に旧人の遺伝子が残されているという証拠はありません。

 他の研究ですが、ネアンデルタール人と現代人の交雑の証拠や、デニソワ人とメラネシア人の交雑の証拠などが出てきています。
 現代の日本人にもホモ・ハイデルベルゲンシスの遺伝子が残っているかもしれません。
 ただの勘ですが、私にはあり得るような気がします。