1993年の米不足とタイ米を思い出す(『古代文明と気候大変動』を読んだきっかけで) ― 2009/02/15 21:20
そもそも、問題としては大きすぎて、手に余るものがある。
著者としては、環境問題についてもっと感心をもってもらいたい、というのが一番の目的かもしれない。
本書で紹介されている気候変動については、なかなか実感が湧かないが、一つだけ実感の湧くことを思い出した。
今から約16年前の1993年の、米不足だ。
記録的な冷夏による生育不良で、1000万トンの需要に対して、収穫は約800万トンを下回り、急遽、タイ、中国、アメリカから260万トンの輸入を行った、ということだ。(Wikipediaより)
当時、私は一人暮らしの身であり、気まぐれにしか自炊をしていなかったので、「米を買う」ということに苦労した記憶が無い。
最も記憶にあるのは、職場の近くにあった個人店の弁当屋で、タイ米のブレンド米に代わっていた。
タイ米は、細長い米であまり粘り気がなく、パサパサした印象がある。
いわゆる「白いごはん」として食べるのには、少々辛いものがあり、カレーライスをよく食べていた記憶がある。
カレーライスなら気にならないというより、かえって相性が良かったようにも思う。
そのような中で、誰かの言葉として耳にしたし、自らも思ったことは、
「米が無くても、パンを食べれば良いし、うどんやそばもある・・・。」
といった言葉だ。
今、思えば、なんと恵まれているというか、平和なのだろうか。
不足した食料(米)を、輸入できるだけでなく、代わりの食料はいくらでもあるわけだ。
しかし、ここで最も気をつけなければならないのは、「輸入」ということだろう。
この時の米の緊急輸入に限らず、ありとあらゆるものを輸入している。
輸入をするには、船が要る。
船を動かすには、石油が要る、というわけだ。
ここで、日本の食糧自給率が云々と言い出したらキリが無い。
更に一つ思い出したのが、以前、読売新聞に掲載されていたもので、日本で自給できる食糧だけを使った、朝、昼、晩のメニューだ。
実際に作ってみて、記者が試食し、その感想も交えた記事と記憶している。
メニューの内容は記憶が薄いので、なんともいえないのだが、限られた食材を、限られた分量で、調理を工夫し、少しでも料理のバリエーションを増やそうという意図が感じられたものだった気がする。
そこには、普段あたりまえのように口にするものは無く、カロリーも十分なものではなかった。
環境問題、食料問題等々、考えなければならないことはたくさんある。
メディアでも取り上げられ、精力的な活動をしている人達がいることも分かっている。
しかし、寒い冬に暖かい部屋で、お腹が満たされた状態で、果たして考える事ができるのだろうか。
本気で考えるには、自らをあえて「厳しい環境へ追いつめる」必要さえ感じるのだが・・・。
コメント
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