『漢字と日本人』-高島俊男/文春新書 ― 2009/12/18 19:17
今更ながらに感じたのは、なぜ、こういう本をもっと早く読んでおかなかったのだろう、と。
日本語と、その起源を語る上で、「漢字」という文字の存在は、当然のことながら切っても切れないものです。
カタカナやひらがなは、漢字の略字からできたものであることは、多くの方がご存知でしょうし、それらができる前は、漢字が唯一の「文字」であった訳です。
その「漢字」をどのように、当時の日本語(和語)に当てはめていったのか、というところまでは、古典文学を学べば分かるのかもしれません。(私は、とても苦手な分野なので、たぶん、ある程度は分かるのでしょう・・・。)
ところが、その漢字を用いたことによる弊害とでもいうのか、無理やり日本語に組み入れたような事情については、気づきにくいような気がします。
その辺りのことを、この本は気づかせてくれるでしょう。
そういう事をある程度分かった上で、漢字が取り入れられる以前の日本語、というものを考えることができるようになる、そんな気がします。
更に言ってしまうと、これはまだ直感でしかないのですが、漢字が取り入れられてからの日本語の変化や、いろいろな事情が理解できると、それ以前の日本語について、あれこれ考える必要がなくなるのではないかと。
もしも、そうなったら、このブログの目的は、半減してしまいますね。(そう簡単に、そこまで理解できるものではないでしょうが・・・。)
それはともかく、この本で著者は、日本に漢字が導入されたことを”不幸”であるかのような書き方をしています。
その理由については、簡単には説明できないのですが、言いたいことは分かる気がします。
そこで、思い出すのは、以前、ちょっとだけ紹介した『漢字廃止で韓国に何が起きたか』(呉 善花:PHP研究所)です。
この本では、漢字が廃止された韓国を嘆き、漢字を使わないと十分な文章表現ができない、その為には、韓国語ではなく、日本語を使わなければならない、と言っています。
漢字、かなまじりの日本語を、まるで絶賛するかのように書かれていたので、『漢字と日本人』は、まるで対照的な印象を与えます。
まだ、三分の二くらいしか読み終えていないのですが、それまででも、結構ショックを受ける内容もあったので、続きが楽しみのような、ちょっと怖いような・・・。
コメント
_ leighkishi.weebly.com ― 2017/05/06 03:04
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://jimdon.asablo.jp/blog/2009/12/18/4765078/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
could test this? IE nonetheless is the marketplace leader and a
large part of people will pass over your wonderful writing because of this
problem.