『日本人の起源 古人骨からルーツを探る』②-日本人起源論(1)神話の時代 ― 2009/05/04 20:23
先日の予告通り、『日本人の起源 古人骨からルーツを探る』(中橋孝博:講談社選書メチエ)から、抜粋して日本人起源論の移り変わりをまとめていきたいと思います。
まずは、学問的な知識など持たない時代に、考古学的な遺跡等を、当時の人々は、どのように捉えていたのか、というところから始まります。
【承知六年(西暦839年):出羽国(今の山形県)】(『続日本後記』)
海岸に多数の石鏃が、先端を西に向けて散らばっているのを発見。
これを人工品ではなく天から降ってきた神々の軍勢の武器ではないかと思い、兵乱が起こる予兆ではないかと恐れ、神仏に祈ったという。
【八世紀の和銅年間:大串貝塚】(『常陸国風土記』)
膨大な貝の堆積を、太古の巨人の食べかすと言い伝えたらしい。
【江戸時代:阿波国勝浦郡大原浦の古墳】
発見された人骨の、顔の長さが一尺四寸(約40cm)、口の奥の幅も一尺四寸、鬼歯(犬歯)の長さ一寸五分と計測される。
前述の巨人伝説や、鬼にまつわる伝承が影響して、このような大げさな記述になったのではないか。
【江戸時代、新井白石(あらいはくせき):儒学者、歴史家、詩人】
石器が天から降ってきた神々の武器ではなく、古代人が作った人工品であると考える。
土器の出土が東北地方に集中していること、中国の『孔子家語』や、多賀城碑などの記載を基に、中国の北方民族、粛慎(みしはせ)が、かつて日本の蝦夷や佐渡に侵入したときに残したものではないかと考えた。
【近藤重蔵(こんどうじゅうぞう):北方探検家】
前述と同様の考えを展開。
しかし、石器が南西部でも発見されるようになり、粛慎(みしはせ)説は次第に勢いを失う。
【松浦武四郎(まつうらたけしろう)、菅江真澄(すがえますみ)、木内石亭(きうちせきてい)ら】
蝦夷地を中心とする各地の土器や住居址に関する知識が集積されるにつれ、アイヌと石鏃と結びつける説や、アイヌの伝承にある小柄な先住民族コロボックルの名まで登場させた議論が展開されていく。
以上、簡単にまとめたつもりですが、それなりに長くなりました。
発見した物を、その当時持ち合わせた知識を最大限に活かして解釈しようとする姿勢は、いつの時代も変わらないようですが、突拍子もないと思えるような解釈をするところが面白いところです。
まずは、学問的な知識など持たない時代に、考古学的な遺跡等を、当時の人々は、どのように捉えていたのか、というところから始まります。
【承知六年(西暦839年):出羽国(今の山形県)】(『続日本後記』)
海岸に多数の石鏃が、先端を西に向けて散らばっているのを発見。
これを人工品ではなく天から降ってきた神々の軍勢の武器ではないかと思い、兵乱が起こる予兆ではないかと恐れ、神仏に祈ったという。
【八世紀の和銅年間:大串貝塚】(『常陸国風土記』)
膨大な貝の堆積を、太古の巨人の食べかすと言い伝えたらしい。
【江戸時代:阿波国勝浦郡大原浦の古墳】
発見された人骨の、顔の長さが一尺四寸(約40cm)、口の奥の幅も一尺四寸、鬼歯(犬歯)の長さ一寸五分と計測される。
前述の巨人伝説や、鬼にまつわる伝承が影響して、このような大げさな記述になったのではないか。
【江戸時代、新井白石(あらいはくせき):儒学者、歴史家、詩人】
石器が天から降ってきた神々の武器ではなく、古代人が作った人工品であると考える。
土器の出土が東北地方に集中していること、中国の『孔子家語』や、多賀城碑などの記載を基に、中国の北方民族、粛慎(みしはせ)が、かつて日本の蝦夷や佐渡に侵入したときに残したものではないかと考えた。
【近藤重蔵(こんどうじゅうぞう):北方探検家】
前述と同様の考えを展開。
しかし、石器が南西部でも発見されるようになり、粛慎(みしはせ)説は次第に勢いを失う。
【松浦武四郎(まつうらたけしろう)、菅江真澄(すがえますみ)、木内石亭(きうちせきてい)ら】
蝦夷地を中心とする各地の土器や住居址に関する知識が集積されるにつれ、アイヌと石鏃と結びつける説や、アイヌの伝承にある小柄な先住民族コロボックルの名まで登場させた議論が展開されていく。
以上、簡単にまとめたつもりですが、それなりに長くなりました。
発見した物を、その当時持ち合わせた知識を最大限に活かして解釈しようとする姿勢は、いつの時代も変わらないようですが、突拍子もないと思えるような解釈をするところが面白いところです。
『日本人の起源 古人骨からルーツを探る』③-日本人起源論(2)外国人研究者の活躍 ― 2009/05/07 21:25
簡単にまとめようと思っていたのですが、そんなに簡単には終わらないような気になってきました。
【フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト:ドイツ人医師】
1823年に来日するが、国禁の地図を国外へ持ち出そうとするシーボルト事件により、1828年国外追放処分を受けるが、帰国後『ニッポン』という研究書を出版。
その中での自説は次の通り。
・日本の先住民はかつて全国に住んでいたアイヌである。
・石鏃はアイヌが残したもの。
・曲玉(まがたま)類は、後にアイヌを北方に追いやった現代日本人の祖先が遺したもの。
【エドワード・S・モース:動物学者】
明治10年(1877年)、汽車の窓から偶然気づいた、大森駅近くの貝塚を発掘し、その成果を『大森介墟古物篇』として出版する。
この日本で最初の発掘報告書の内容は次の通り。
・出土した人骨が、欧米の先史人骨に類似することから、この貝塚はかなり古い時期に形成された。
・壊れた人骨がシカやイノシシの骨と混ざって出土することから、食人風習の可能性を指摘。
・土器が出土することから、貝塚人は土器の製作・使用者であった。
・現代のアイヌが土器も作らず、食人風習も持たないことから、この貝塚人は、アイヌでも現代日本人の祖先でもない「プレ・アイヌ」とでも言うべき先住民であろうと主張。
(先住民→アイヌ→現代日本人の祖先、と二回入れ替わった。)
【ハインリッヒ(小シーボルト):オーストリア公使館員】
来日した際、父シーボルトの説(アイヌ説)を紹介、小金井良精ら後の日本の学者に大きな影響を与える。
モースによるプレ・アイヌ説を反論、外国人同士による学術論争へ展開。
【エルヴィン・ベルツ:ドイツ人医師】
ハインリッヒと同じアイヌ説派であるが、「ベルツの混血説」をまとめる。
・日本人はアイヌを別にして、大きく二つのタイプがある。
・一つは、華奢な体つきで面長な貴族的特徴を持つ「長州型」
・もう一つは、ずんぐりした体軀で短頭、丸顔の庶民的な「薩摩型」
・かつては、コーカソイド系のアイヌが住んでいた日本列島に、まず大陸北方から北方蒙古系の人々(長州型)が、ついで南方からマレー系の人々(薩摩型)が上陸して、次第に日本各地に広がった。
以上、またまた長くなってしまいました。
日本列島には、さまざまなタイプの人々が入り混じっているということを、外国人の客観的な目から教えられたように思えます。
日本人の目から見ると、それが当たり前で、気が付かないのかもしれません。
しかし、日本人と似ている人々が、世界各地に居るということが、それを証明しているようにも思えます。例えば、アメリカの先住民インディアン、エスキモー、モンゴル人、チベット人、東南アジアの人々など、それぞれを比べると似ていない人達も、みんなどこか日本人と似ている気がしませんか。
【フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト:ドイツ人医師】
1823年に来日するが、国禁の地図を国外へ持ち出そうとするシーボルト事件により、1828年国外追放処分を受けるが、帰国後『ニッポン』という研究書を出版。
その中での自説は次の通り。
・日本の先住民はかつて全国に住んでいたアイヌである。
・石鏃はアイヌが残したもの。
・曲玉(まがたま)類は、後にアイヌを北方に追いやった現代日本人の祖先が遺したもの。
【エドワード・S・モース:動物学者】
明治10年(1877年)、汽車の窓から偶然気づいた、大森駅近くの貝塚を発掘し、その成果を『大森介墟古物篇』として出版する。
この日本で最初の発掘報告書の内容は次の通り。
・出土した人骨が、欧米の先史人骨に類似することから、この貝塚はかなり古い時期に形成された。
・壊れた人骨がシカやイノシシの骨と混ざって出土することから、食人風習の可能性を指摘。
・土器が出土することから、貝塚人は土器の製作・使用者であった。
・現代のアイヌが土器も作らず、食人風習も持たないことから、この貝塚人は、アイヌでも現代日本人の祖先でもない「プレ・アイヌ」とでも言うべき先住民であろうと主張。
(先住民→アイヌ→現代日本人の祖先、と二回入れ替わった。)
【ハインリッヒ(小シーボルト):オーストリア公使館員】
来日した際、父シーボルトの説(アイヌ説)を紹介、小金井良精ら後の日本の学者に大きな影響を与える。
モースによるプレ・アイヌ説を反論、外国人同士による学術論争へ展開。
【エルヴィン・ベルツ:ドイツ人医師】
ハインリッヒと同じアイヌ説派であるが、「ベルツの混血説」をまとめる。
・日本人はアイヌを別にして、大きく二つのタイプがある。
・一つは、華奢な体つきで面長な貴族的特徴を持つ「長州型」
・もう一つは、ずんぐりした体軀で短頭、丸顔の庶民的な「薩摩型」
・かつては、コーカソイド系のアイヌが住んでいた日本列島に、まず大陸北方から北方蒙古系の人々(長州型)が、ついで南方からマレー系の人々(薩摩型)が上陸して、次第に日本各地に広がった。
以上、またまた長くなってしまいました。
日本列島には、さまざまなタイプの人々が入り混じっているということを、外国人の客観的な目から教えられたように思えます。
日本人の目から見ると、それが当たり前で、気が付かないのかもしれません。
しかし、日本人と似ている人々が、世界各地に居るということが、それを証明しているようにも思えます。例えば、アメリカの先住民インディアン、エスキモー、モンゴル人、チベット人、東南アジアの人々など、それぞれを比べると似ていない人達も、みんなどこか日本人と似ている気がしませんか。
『日本人の起源 古人骨からルーツを探る』④-日本人起源論(3)アイヌ・コロボックル論争 ― 2009/05/10 15:18
明治10年代から20年代に入ると、ようやく日本人の祖先を問う分野に日本人自身が、参画し始めるようになります。
【坪井正五郎(つぼいしょうごろう):東京大学理学部】
1884年(明治17年)、研究集会「じんるいがくのとも」を開催。
モースが「プレ・アイヌ」と呼んでいた先住民を「コロボックル」と主張、アイヌ説に対抗した。
坪井は、遺跡から出土する遺物や、アイヌが語り継いできた伝承から、コロボックルを現在のイヌイットに近い集団と考え、かつては全国に住んでいたが、後にアイヌによって北方へ追いやられ、そのアイヌも渡来した日本人の祖先によって北海道へ押し込められたと考えた。
【白井光太郎(しらいみつたろう)】
坪井のコロボックル説に対し、伝承などに頼った論拠薄弱な説と批判。
それに対し、坪井は更にコロボックル説の論文を発表、そして白井が批判するといった、後に「アイヌ・コロボックル論争」と呼ばれる大論争へと発展する。
【小金井良精(こがねいよしきよ):東京大学医学部解剖学教室】
専門の解剖学的な知識を生かし、古人骨の形態的特長から先住民問題に迫る。
石器時代人骨の特徴が、現代人よりアイヌ人に類似することから、日本列島の石器時代人はアイヌであろうと考える。
坪井のコロボックル説に較べ、客観的な論拠を与えるとして、次第に学会の支持を広げる。
【鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)】
坪井の愛弟子であり、坪井の説を裏付ける為、千島列島へ調査に赴が、そこでは、アイヌは最近まで土器や石器をつくり、竪穴式住居に住んでいたことを発見してしまう。
坪井は、アイヌがそのような生活技術を持たないことを根拠にしていた為、この発見はコロボックル説の致命的な痛撃となった。
それでも、坪井は自身の説を補強する論考を発表し続けたが、1913年、旅先のロシアで客死するにおよび、コロボックル説は終焉を迎える。
念のため、ここまでで分かったことをまとめてみます。
・始め、日本列島には石器時代人が住んでいた。
・石器時代人は、アイヌの祖先である。
・大陸より渡来した日本人の祖先により、アイヌは北海道へ押し込められた。(人種交代が起きたという考えが、中心だったようです。)
だいぶ、現在の説に近づいてきた感じがしますが、アイヌから日本人の祖先へ人種交代が起きたというのが、当たり前のように思われていたようです。
しかし、その後大正時代に入ると、さまざまな新説が出てきます。
もちろん、次回に・・・。
【坪井正五郎(つぼいしょうごろう):東京大学理学部】
1884年(明治17年)、研究集会「じんるいがくのとも」を開催。
モースが「プレ・アイヌ」と呼んでいた先住民を「コロボックル」と主張、アイヌ説に対抗した。
坪井は、遺跡から出土する遺物や、アイヌが語り継いできた伝承から、コロボックルを現在のイヌイットに近い集団と考え、かつては全国に住んでいたが、後にアイヌによって北方へ追いやられ、そのアイヌも渡来した日本人の祖先によって北海道へ押し込められたと考えた。
【白井光太郎(しらいみつたろう)】
坪井のコロボックル説に対し、伝承などに頼った論拠薄弱な説と批判。
それに対し、坪井は更にコロボックル説の論文を発表、そして白井が批判するといった、後に「アイヌ・コロボックル論争」と呼ばれる大論争へと発展する。
【小金井良精(こがねいよしきよ):東京大学医学部解剖学教室】
専門の解剖学的な知識を生かし、古人骨の形態的特長から先住民問題に迫る。
石器時代人骨の特徴が、現代人よりアイヌ人に類似することから、日本列島の石器時代人はアイヌであろうと考える。
坪井のコロボックル説に較べ、客観的な論拠を与えるとして、次第に学会の支持を広げる。
【鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)】
坪井の愛弟子であり、坪井の説を裏付ける為、千島列島へ調査に赴が、そこでは、アイヌは最近まで土器や石器をつくり、竪穴式住居に住んでいたことを発見してしまう。
坪井は、アイヌがそのような生活技術を持たないことを根拠にしていた為、この発見はコロボックル説の致命的な痛撃となった。
それでも、坪井は自身の説を補強する論考を発表し続けたが、1913年、旅先のロシアで客死するにおよび、コロボックル説は終焉を迎える。
念のため、ここまでで分かったことをまとめてみます。
・始め、日本列島には石器時代人が住んでいた。
・石器時代人は、アイヌの祖先である。
・大陸より渡来した日本人の祖先により、アイヌは北海道へ押し込められた。(人種交代が起きたという考えが、中心だったようです。)
だいぶ、現在の説に近づいてきた感じがしますが、アイヌから日本人の祖先へ人種交代が起きたというのが、当たり前のように思われていたようです。
しかし、その後大正時代に入ると、さまざまな新説が出てきます。
もちろん、次回に・・・。
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