日本語の変化について考えて見る ― 2008/12/09 10:20
古代の日本語について正確に知ることは、とても困難なことです。
何を今更そんなことを、と思われるでしょうが、多くの研究者が答えを出せていないのが、その証拠といえます。
諦める、と言っている訳ではないのです。
慌てて答えを出そうとして脱線しない為の戒めのようなものです。
また、正確な答えではないにしても、いろいろな間接的な情報から、想像を逞しくして、考える必要もありそうです。
そこで、過去のことばかりを見ていないで、最近の日本語について、少し考えてみます。
年末恒例の「流行語・・・」で、垣間見れるように、日本人は新しい言葉が好きなのかもしれません。
(「流行語・・・」で、登場する言葉に、重要な意味があるとは、思ってはいませんが・・・。)
また、短縮語?も、多く作り出しています。
大抵は、四音節にまとめることが多いようで、2つの単語の頭二音節ずつを、繋げるというパターンがあります。
例えば・・・、そう「アサブロ」なんて、まさに典型例ですね。
語源が、日本語であろうが、英語であろうが、関係なく同じように短縮しているところが、すごいところです。
そこで、もう少し日本語らしく?漢字の熟語を見てみます。
このブログの管理画面を見ただけでも、
「管理」「画面」「記事」「作成」「編集」「新規」「削除」「設定」・・・
と、たくさんあります。
漢字二文字の熟語を、三音節か四音節で表すことが多いように見えます。
これらの多くは、昔から国語辞典にも載っている(由緒ある?)日本語ですが、先ほどの短縮語?と、共通点があるようにも見えます。
そこにある一定の法則のようなものが、あるようにも見えますが、それがどのようなものであれ、昔から日本人が新しい言葉を作り出してきた一つの流れを感じさせます。
しかし、漢字の熟語を良く見てください。
恐らく、大抵の熟語は、「音読み」で読めるようになっています。
ここで、注意したいのは、日本に漢字が入ってくる前の日本語と、漢字によって新たに日本語となったものの違いです。
漢字の意味にあわせて、元々の日本語を対応させた読みが「訓読み」であるならば、音読みは外来語といえます。
この辺りの事は、おいおい何かの文献で詳しく調べたいと思っています。(まだ、目星はつけていませんが、必ずあるはずです。)
話が、現代へ戻ります。
パソコンの普及と共に、カタカナ語が急速に増えています。
パソコン操作に苦労する、中高年の方々の話はよく聞きます。
例えば、「マウスで選択して、右クリックでコピー・・・」なんて、ある意味、日本語ではありません。
しかし、よくよく考えて見れば、このカタカタ語も、音読みによる漢字の熟語も、根本は変わらないようです。
漢字が伝来し、熟語が使われ始めた頃、文字を使うことが出来た一部の人達の言葉を、例えば東北地方の人が聞いたら、現代の中高年の方々と同じような心境だったかもしれません。
(中央政権による影響を受けるのが、本州では、最も遅かったのが東北地方であったという歴史から、例に挙げました。)
何を今更そんなことを、と思われるでしょうが、多くの研究者が答えを出せていないのが、その証拠といえます。
諦める、と言っている訳ではないのです。
慌てて答えを出そうとして脱線しない為の戒めのようなものです。
また、正確な答えではないにしても、いろいろな間接的な情報から、想像を逞しくして、考える必要もありそうです。
そこで、過去のことばかりを見ていないで、最近の日本語について、少し考えてみます。
年末恒例の「流行語・・・」で、垣間見れるように、日本人は新しい言葉が好きなのかもしれません。
(「流行語・・・」で、登場する言葉に、重要な意味があるとは、思ってはいませんが・・・。)
また、短縮語?も、多く作り出しています。
大抵は、四音節にまとめることが多いようで、2つの単語の頭二音節ずつを、繋げるというパターンがあります。
例えば・・・、そう「アサブロ」なんて、まさに典型例ですね。
語源が、日本語であろうが、英語であろうが、関係なく同じように短縮しているところが、すごいところです。
そこで、もう少し日本語らしく?漢字の熟語を見てみます。
このブログの管理画面を見ただけでも、
「管理」「画面」「記事」「作成」「編集」「新規」「削除」「設定」・・・
と、たくさんあります。
漢字二文字の熟語を、三音節か四音節で表すことが多いように見えます。
これらの多くは、昔から国語辞典にも載っている(由緒ある?)日本語ですが、先ほどの短縮語?と、共通点があるようにも見えます。
そこにある一定の法則のようなものが、あるようにも見えますが、それがどのようなものであれ、昔から日本人が新しい言葉を作り出してきた一つの流れを感じさせます。
しかし、漢字の熟語を良く見てください。
恐らく、大抵の熟語は、「音読み」で読めるようになっています。
ここで、注意したいのは、日本に漢字が入ってくる前の日本語と、漢字によって新たに日本語となったものの違いです。
漢字の意味にあわせて、元々の日本語を対応させた読みが「訓読み」であるならば、音読みは外来語といえます。
この辺りの事は、おいおい何かの文献で詳しく調べたいと思っています。(まだ、目星はつけていませんが、必ずあるはずです。)
話が、現代へ戻ります。
パソコンの普及と共に、カタカナ語が急速に増えています。
パソコン操作に苦労する、中高年の方々の話はよく聞きます。
例えば、「マウスで選択して、右クリックでコピー・・・」なんて、ある意味、日本語ではありません。
しかし、よくよく考えて見れば、このカタカタ語も、音読みによる漢字の熟語も、根本は変わらないようです。
漢字が伝来し、熟語が使われ始めた頃、文字を使うことが出来た一部の人達の言葉を、例えば東北地方の人が聞いたら、現代の中高年の方々と同じような心境だったかもしれません。
(中央政権による影響を受けるのが、本州では、最も遅かったのが東北地方であったという歴史から、例に挙げました。)
最近のコメント