弥生文化も、細かく見ればゆっくりと東へ伝わる2008/12/03 22:15

本を読むのが遅いので、なかなか思考が進みませんね。

先月読み始めた『日本の歴史02 王権誕生』寺沢 薫著 講談社、は、まだまだ道半ば、といった感じです。
焦っても仕方が無いので、じっくりと噛み砕くつもりで読んでいます。

少しずつですが、縄文晩期から弥生時代にかけて、いろいろと見えてきました。
比較的、大きな視点で見ると、縄文晩期に渡来人が九州北部へやってきてから、水田稲作などの文化は、急速に近畿地方まで伝わった印象がありますが、詳細に見ていくと、そうでもないことが分かってきます。

正確には、文化の伝わりというよりは、集落の階層化とその発展により、小さな国へと成長していくのに、時間差があるということのようです。
このような展開を見ていると、多くの渡来人が次々とやってきて、人も文化も塗り替えていったというようには見えず、基本的には縄文人が弥生人へと変化していった姿が、想像できます。

そうすると、言語についても、渡来人の母国語によって、縄文人の言語が塗り替えられていったというようには見えません。
この点は、これまでの考え方の再確認が出来たように思えます。

日本語の変化について考えて見る2008/12/09 10:20

古代の日本語について正確に知ることは、とても困難なことです。
何を今更そんなことを、と思われるでしょうが、多くの研究者が答えを出せていないのが、その証拠といえます。

諦める、と言っている訳ではないのです。
慌てて答えを出そうとして脱線しない為の戒めのようなものです。
また、正確な答えではないにしても、いろいろな間接的な情報から、想像を逞しくして、考える必要もありそうです。

そこで、過去のことばかりを見ていないで、最近の日本語について、少し考えてみます。
年末恒例の「流行語・・・」で、垣間見れるように、日本人は新しい言葉が好きなのかもしれません。
(「流行語・・・」で、登場する言葉に、重要な意味があるとは、思ってはいませんが・・・。)

また、短縮語?も、多く作り出しています。
大抵は、四音節にまとめることが多いようで、2つの単語の頭二音節ずつを、繋げるというパターンがあります。
例えば・・・、そう「アサブロ」なんて、まさに典型例ですね。
語源が、日本語であろうが、英語であろうが、関係なく同じように短縮しているところが、すごいところです。

そこで、もう少し日本語らしく?漢字の熟語を見てみます。
このブログの管理画面を見ただけでも、
「管理」「画面」「記事」「作成」「編集」「新規」「削除」「設定」・・・
と、たくさんあります。
漢字二文字の熟語を、三音節か四音節で表すことが多いように見えます。
これらの多くは、昔から国語辞典にも載っている(由緒ある?)日本語ですが、先ほどの短縮語?と、共通点があるようにも見えます。

そこにある一定の法則のようなものが、あるようにも見えますが、それがどのようなものであれ、昔から日本人が新しい言葉を作り出してきた一つの流れを感じさせます。

しかし、漢字の熟語を良く見てください。
恐らく、大抵の熟語は、「音読み」で読めるようになっています。
ここで、注意したいのは、日本に漢字が入ってくる前の日本語と、漢字によって新たに日本語となったものの違いです。
漢字の意味にあわせて、元々の日本語を対応させた読みが「訓読み」であるならば、音読みは外来語といえます。
この辺りの事は、おいおい何かの文献で詳しく調べたいと思っています。(まだ、目星はつけていませんが、必ずあるはずです。)

話が、現代へ戻ります。
パソコンの普及と共に、カタカナ語が急速に増えています。
パソコン操作に苦労する、中高年の方々の話はよく聞きます。
例えば、「マウスで選択して、右クリックでコピー・・・」なんて、ある意味、日本語ではありません。
しかし、よくよく考えて見れば、このカタカタ語も、音読みによる漢字の熟語も、根本は変わらないようです。

漢字が伝来し、熟語が使われ始めた頃、文字を使うことが出来た一部の人達の言葉を、例えば東北地方の人が聞いたら、現代の中高年の方々と同じような心境だったかもしれません。
(中央政権による影響を受けるのが、本州では、最も遅かったのが東北地方であったという歴史から、例に挙げました。)

次なる疑問は、弥生時代の人骨の形態について2008/12/18 17:04

先月の半ば頃に買った『日本の歴史02 王権誕生』(寺沢 薫:講談社)を、先日、やっと読み終えました。
仕事の合間に、ちまちまと読んでいるのですが、まとめて数十ページ進むことがないので、日にちがかかります。

縄文時代晩期から、古墳時代の前期にかけて、王権が誕生するまでの人々の動きを、考古学を中心に書かれたものなのですが、とても興味深い内容でした。

元々、日本語という言語の成立について何かヒントが得られれば、という目的で読み始めたのですが、言語の由来や渡来人による言語の変化などについての直接的な記述はありません。
これは、読む前からだいたい分かっていたことであり、多くを期待していたものではありません。
もちろん、少しでも書かれていれば、という期待がなかった訳でもありません。

しかし、この本が役に立たなかったという訳ではなく、今まで漠然としか分かっていなかった弥生時代のことが、人々の行動から心理まで、より詳細に分かり、私としてはかなり前進した感があります。

分かった事があれば、そのことにより新たな疑問が生じるのが自然な流れです。一つ知ることにより、疑問が二つ、三つと生じることも稀ではありません。

渡来人が九州北部に最初にやってきて、水田稲作を始めとする新しい文化を持ち込んだことは、ほぼ間違いが無いでしょう。
そこで暮らす人々が、共同体としてまとまり始め、やがて(小さな)国へと拡大していく訳ですが、その間の人口増加にどれほど、渡来人が関わっていたのか疑問です。

少数の渡来人に混ざって、縄文人が稲作を始め、混血を繰り返しながら人口を増やしていった、と見ることもできれば、多くの渡来人がやってきて稲作をしながら人口を増やし、縄文人の多くは周囲へ押しやられてしまった、と見ることもできます。

私個人としては、前者を想定しているのですが、いまいちはっきりしません。
この本では、考古学的な資料として、各地の遺跡の中の土器や、埋葬による副葬品や、墓の形式、規模などを詳細に整理、分析しているのですが、人骨についてはあまり触れられていません。
「王権誕生」という主題に対して、人骨の形態などはあまり関係がないということなのでしょう。

そのような訳で、今、最大の疑問は「弥生時代から出土する人骨の形態」です。
明らかに、縄文人とは異なる形態の人骨が出土したり、それの近くから縄文人らしい形態の人骨が出土するなど、はっきりと分かれている訳ではなく、混在している、というような話は聞いたことがあります。
しかし、どこの遺跡のどの時代に、どのような形態の人骨が、どれくらい出土したか、については分かっていません。

一般の書籍で分かる範疇を超えているような気もしますが、きっと何かよい本があるでしょう・・・。