エコカー補助金、5ヶ月近くかかりました2009/12/04 16:28

 テレビのCMでも、連日のように叫ばれている「エコカー減税」「エコカー補助金」ですが、噂どおり、受け取りまでの道のりは長いようです。
 我が家では、7月中旬の納車から、もうすぐ5ヶ月が経とうとしている本日、「エコカー補助金」の入金を確認しました!!
 何の前ぶれもなく、たまたまモバイルバンキングで、口座を確認したところ、やけに残高が多いので、よくよく見てみると、補助金が入金されていた、ということです。
 もしかすると、遅れて、入金のお知らせのハガキが来るかもしれませんね。

 ちなみに、廃車にした事故車は、年式が古かったので、補助金の額は25万円です!!
 これは、大きいですよ。
 もちろん、基本的には新車の購入費(ローン)へ充てるのですが、もしかすると、少しは景気対策に貢献できるかもしれません。(ただの無駄遣い!?)

 同じように、首を長くしてお待ちの方、もうすぐですよ。

LEDの普及とエコ2009/12/08 23:14

 タイトルは少々、大それたものになっていますが、そんなに大した話ではありません。

 最近、LED(発光ダイオード)が、さまざまな所で使われているのを目にします。
 そもそも、なぜLEDが使われるのか、と言えば、”消費電力が少ない”、”発熱が少ない”、”寿命が長い”と、どこかで目にした(耳にした)ことのある理由によります。

 電球に替わる、エコな照明として、「電球型蛍光灯」は、かなり普及したように思いますが、「電球型LED」は、最近になって、やっと店頭でも見かけるようになり、値段も決して安いものではないので、まだまだこれから、といった感じです。

 電球から、LEDへの転換が進んでいる印象を受けるものとして、まさに今の時期に相応しい、クリスマス等の「電飾」があります。
 買ったことが無いので、良く分かりませんが、以前に比べて値段も下がってきたのではないでしょうか。

 また、自動車の照明関係も、LEDへの転換が進んでいるように思います。
 ただし、こちらは、メーカーの標準としてLEDを採用している、というよりは、標準で付いている電球型の物を、LED型のものへ交換できるように、自動車用品店の品揃えが豊富になった、という印象です。
 自動車の照明のLED化については、エコ的なものよりも、明るさと、電球にはない光の白さに人気があるようです。
 個人的には、一に「消費電力」、二に「明るさ」といったところでしょうか。

 最近になって多くの製品に使われるようになった印象のあるLEDですが、実はずいぶん前から存在はしていたのです。
 しかし、「白色」はなく、「赤」や「緑」「黄色」だけでした。
 この辺りの事情については、「LED」という言葉以前に、「発光ダイオード」という言葉に馴染みがある、電子回路の設計や製作に関わったことのある方なら、よくご存知でしょう。

 「白色」のLEDが作れるようになったのは、「青色」のLEDが作れるようになったことによります。
 「青色発光ダイオード」の開発と特許を巡る裁判に聞き覚えがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 この裁判では、発光ダイオードの開発、製造を行う企業に勤務し、青色発光ダイオードの開発に携わっていた開発者が、その開発による企業の莫大な利益に対して、開発者への報酬が少な過ぎる、という主張からなるもので、何年(十年以上?)もの裁判の末、開発者へ多額の報酬が支払われることになったと記憶しています。

 ちょっと話がそれましたが、なぜそんなに「青色発光ダイオード」が重要なのか。
 「光の三原色」を知っていると良く分かると思いますが、「白色」を出す為には、「赤(R)」「緑(G)」「青(B)」の三色が必要になります。(「RGB」の文字をどこかで見た覚えはありませんか? パソコンのディスプレイの入力端子や、その信号線に関するところで出てきます。)
 青色発光ダイオードが開発される以前から、赤と緑はできていたので、あと青ができれば、白色LEDが作れる、という状況だった訳です。
 白色が出せるようになれば、用途も広がり、ビジネスとして大きくなりうるということは、今日のLEDの普及状況からよくわかることと思います。

 さて、なぜ急に、このような話になったかというと、久しぶりに「東京ディズニーランド」で、夜のパレード「エレクトリカルパレード」を見て、ちょっと気づいたことがあったからなのです。
 おびただしい数の電飾を使ったパレードであることは、ご存知かと思いますが、その電飾が、今までは「電球タイプ」がほとんどであったのに、いつの間にか「LEDタイプ」が、多く使われているように見えたのです。
 「これで、だいぶ消費電力が下がるだろうなぁ」なんて、パレードを見ながら思ってしまう、過去の癖が抜けない元技術屋の独り言でした・・・。

『漢字と日本人』-高島俊男/文春新書2009/12/18 19:17

 最近、このブログの本筋とは、ちょっとずれた話が多かったように思いますが、この本はだいぶ近いでしょう。
 しかし、タイトルからも想像できるように、日本で文字が使われる以前のことについては、まったくと言ってよい程、触れられておらず、日本語における「漢字」の存在について、今まで気にも留めていなかったようなことが書かれています。

 今更ながらに感じたのは、なぜ、こういう本をもっと早く読んでおかなかったのだろう、と。
 日本語と、その起源を語る上で、「漢字」という文字の存在は、当然のことながら切っても切れないものです。
 カタカナやひらがなは、漢字の略字からできたものであることは、多くの方がご存知でしょうし、それらができる前は、漢字が唯一の「文字」であった訳です。

 その「漢字」をどのように、当時の日本語(和語)に当てはめていったのか、というところまでは、古典文学を学べば分かるのかもしれません。(私は、とても苦手な分野なので、たぶん、ある程度は分かるのでしょう・・・。)
 ところが、その漢字を用いたことによる弊害とでもいうのか、無理やり日本語に組み入れたような事情については、気づきにくいような気がします。
 その辺りのことを、この本は気づかせてくれるでしょう。

 そういう事をある程度分かった上で、漢字が取り入れられる以前の日本語、というものを考えることができるようになる、そんな気がします。
 更に言ってしまうと、これはまだ直感でしかないのですが、漢字が取り入れられてからの日本語の変化や、いろいろな事情が理解できると、それ以前の日本語について、あれこれ考える必要がなくなるのではないかと。
 もしも、そうなったら、このブログの目的は、半減してしまいますね。(そう簡単に、そこまで理解できるものではないでしょうが・・・。)

 それはともかく、この本で著者は、日本に漢字が導入されたことを”不幸”であるかのような書き方をしています。
 その理由については、簡単には説明できないのですが、言いたいことは分かる気がします。
 そこで、思い出すのは、以前、ちょっとだけ紹介した『漢字廃止で韓国に何が起きたか』(呉 善花:PHP研究所)です。
 この本では、漢字が廃止された韓国を嘆き、漢字を使わないと十分な文章表現ができない、その為には、韓国語ではなく、日本語を使わなければならない、と言っています。
 漢字、かなまじりの日本語を、まるで絶賛するかのように書かれていたので、『漢字と日本人』は、まるで対照的な印象を与えます。

 まだ、三分の二くらいしか読み終えていないのですが、それまででも、結構ショックを受ける内容もあったので、続きが楽しみのような、ちょっと怖いような・・・。