『地名アイヌ語小事典』(知里 真志保:北海道出版企画センター)-買っては見たものの・・・ ― 2009/11/09 17:03
かねてから気になる本というのは、多々ありますが、この『地名アイヌ語小事典』も、そのひとつでした。
まず、普通の書店では置いていないであろう本ですが、そういった本であっても、ご存知の通りインターネットでは、気軽に買うことができます。
そんな訳で、他の買い物の”ついで”に、何気に買ってしまったのです。
さて、内容の方は、タイトル通り”小事典”ですから、頭から読み進める、というものでもありません。
いや、頭から全て読む位の気持ちでなければ、まともに知識として身につくものでもないでしょう。(だからと言って、全て読むと決意した訳ではありません。)
アイヌ語と言えば、二ヶ月くらい前に「八ッ場ダム」の語源について、ちょっとしたお遊びをしてみましたが、この小事典を使って、もう少しまともな見解が出せるかもしれません。
とりあえず、前回、適当に参考にした地名、北海道富良野市の山部(やまべ)のヤムペッ [yam-pet] を調べてみます。
yam : やム ((完動詞)) 冷くアル(ナル)。
【北海道北部方言地帯、樺太】
pet : ぺッ 川。
それで、「冷ややかなる・川 」という意味になるようです。
さて、実際のところ「八ッ場ダム」周辺を流れる川が、そのような川だったのでしょうか?
ダム自体は、吾妻川に添う形で計画されているようですが、比較的狭い地域の地名である「八ッ場」が、比較的、距離のある吾妻川が元になっているとも思えないので、もし、川が地名の語源であるならば、吾妻川の南北にある二本の支流が、関係あるのかもしれません。
このように、こじつけるように、少しでも可能性のある事を当てはめていくこともできますが、追求すればするほど現実味の無い話になっていくようにも思えます。
この小事典を、このような使い方もできないことも無いのですが、基本的な知識が欠けていたら、誤った考えに行き着くだけのような気がします。
それよりも、この小事典では、ひとつの語について関連のあることを、詳細に解説しているところが多々あり、そこを拾い読みするだけでも、アイヌの人々の考え方の一端が垣間見ることができ、なかなかおもしろいものです。
まず、普通の書店では置いていないであろう本ですが、そういった本であっても、ご存知の通りインターネットでは、気軽に買うことができます。
そんな訳で、他の買い物の”ついで”に、何気に買ってしまったのです。
さて、内容の方は、タイトル通り”小事典”ですから、頭から読み進める、というものでもありません。
いや、頭から全て読む位の気持ちでなければ、まともに知識として身につくものでもないでしょう。(だからと言って、全て読むと決意した訳ではありません。)
アイヌ語と言えば、二ヶ月くらい前に「八ッ場ダム」の語源について、ちょっとしたお遊びをしてみましたが、この小事典を使って、もう少しまともな見解が出せるかもしれません。
とりあえず、前回、適当に参考にした地名、北海道富良野市の山部(やまべ)のヤムペッ [yam-pet] を調べてみます。
yam : やム ((完動詞)) 冷くアル(ナル)。
【北海道北部方言地帯、樺太】
pet : ぺッ 川。
それで、「冷ややかなる・川 」という意味になるようです。
さて、実際のところ「八ッ場ダム」周辺を流れる川が、そのような川だったのでしょうか?
ダム自体は、吾妻川に添う形で計画されているようですが、比較的狭い地域の地名である「八ッ場」が、比較的、距離のある吾妻川が元になっているとも思えないので、もし、川が地名の語源であるならば、吾妻川の南北にある二本の支流が、関係あるのかもしれません。
このように、こじつけるように、少しでも可能性のある事を当てはめていくこともできますが、追求すればするほど現実味の無い話になっていくようにも思えます。
この小事典を、このような使い方もできないことも無いのですが、基本的な知識が欠けていたら、誤った考えに行き着くだけのような気がします。
それよりも、この小事典では、ひとつの語について関連のあることを、詳細に解説しているところが多々あり、そこを拾い読みするだけでも、アイヌの人々の考え方の一端が垣間見ることができ、なかなかおもしろいものです。
八ッ場ダムの”八ッ場”は、なぜ”やんば”? ― 2009/09/04 19:57
巷で何かと話題になっている「八ッ場ダム」ですが、なぜ”やんば”と読むのか疑問に思っている人は多いようですね。
そういう私も、その一人ですが・・・。
当然ですが、ここでは、建設の是非や、政治的なことには一切触れません。
しかも、語源について考えてみますが、あまり確かな事はいえません。
浅はかな知識と、たくましい想像力を働かせた、ちょっとしたお遊びなので、そのつもりで読んでください。
まず、八ッ場ダムの「八ッ場(やんば)」は、地名から来ているのはご存知かと思います。(ここはまじめ。)
その地名の由来については、いくつかの説があるようですが、「やば」→「やんば」と発音が変化した、ということは共通しているようです。
「やば」については、「矢場(矢で猟をするところ)」「八場(猟の穴が八つ)」「谷場(谷川の流れが急)」など、それぞれその土地の特徴を意味する漢字から由来しているようです。(Yahoo!知恵袋のy_ihnrky1982さんによる回答を参考にしました。)
「ん」が挿入されるところは、東北方言を連想してしまいますが、どうなんでしょうね。
また、なぜ「ッ」を「ん」と読むのかは、これらの説からはわかりそうもありません。
いずれにしても、これらの説で共通するのは、「意味」から「文字(漢字)」をあて、「読み」ができあがる、という流れです。
さて、ここからが本題です。(お遊びの始まりです。)
地理的には、北関東という位置から疑問に思われるかもしれませんが、アイヌ語地名的な発想で考えてみます。
もちろん、アイヌ語的な発想をするからには、まず漢字の概念を捨て去ります。
よって、元になるのは読みとしての「やんば」だけです。
全く同じ発音のアイヌ語があれば、話は早いのでしょうが、それは無いようです。(というより、アイヌ語に関するまともな資料が無いので、あっても分かりません。)
もっとも、まったく同じ発音があったとしても、その意味が一致しなければ意味はありません。
アイヌ語地名をちょっと調べてみたら、それらしい、というか、そう思えば、そんな気もしてくる参考になる地名を発見しました。
地名:北海道富良野市 山部(やまべ)
アイヌ語地名:ヤムペッ [yam-pet]
アイヌ語の意味:冷ややかなる・川
(北海道(行政)のホームページ、「アイヌ語地名リスト」を参考にしました。)
なんで?とお思いでしょう。
さて、なんででしょう!?
インスピレーションってやつですかね。
「ヤムペッ」→「ヤムベ」→「ヤンベ」→「ヤンバ」
全然、説得力がありません。
最初に言った通り、お遊びですから・・・。
でも、最後はちょっとまじめに。
地名の由来についての考え方には、大きく二通りがあるように思います。
一つは、前述した由来のように、意味から漢字をあて、その読みから地名が成り立つもの。
これは、漢字を使いこなせる人々ができることであって、現代人からすればごく自然な発想であり、理解しやすいのですが、もしも、漢字を使えない(時代の)人々が使っていた地名であれば、説得力がありません。
もう一つは、漢字の意味や読みを考えずに、「発音」から考える方法です。
もしも、古くから口頭のみで使われていた地名に文字(漢字)をあてるという経緯があったとすれば、そこで使われる漢字は、ただの当て字に過ぎないかもしれません。
そう考えると、使われている漢字は、参考になるどころか、誤解を招く元になるだけかもしれません。
前述のアイヌ語地名による説は、とても正しいとは思えませんが、こういった発想の転換が、時には大事な気がしませんか?
そういう私も、その一人ですが・・・。
当然ですが、ここでは、建設の是非や、政治的なことには一切触れません。
しかも、語源について考えてみますが、あまり確かな事はいえません。
浅はかな知識と、たくましい想像力を働かせた、ちょっとしたお遊びなので、そのつもりで読んでください。
まず、八ッ場ダムの「八ッ場(やんば)」は、地名から来ているのはご存知かと思います。(ここはまじめ。)
その地名の由来については、いくつかの説があるようですが、「やば」→「やんば」と発音が変化した、ということは共通しているようです。
「やば」については、「矢場(矢で猟をするところ)」「八場(猟の穴が八つ)」「谷場(谷川の流れが急)」など、それぞれその土地の特徴を意味する漢字から由来しているようです。(Yahoo!知恵袋のy_ihnrky1982さんによる回答を参考にしました。)
「ん」が挿入されるところは、東北方言を連想してしまいますが、どうなんでしょうね。
また、なぜ「ッ」を「ん」と読むのかは、これらの説からはわかりそうもありません。
いずれにしても、これらの説で共通するのは、「意味」から「文字(漢字)」をあて、「読み」ができあがる、という流れです。
さて、ここからが本題です。(お遊びの始まりです。)
地理的には、北関東という位置から疑問に思われるかもしれませんが、アイヌ語地名的な発想で考えてみます。
もちろん、アイヌ語的な発想をするからには、まず漢字の概念を捨て去ります。
よって、元になるのは読みとしての「やんば」だけです。
全く同じ発音のアイヌ語があれば、話は早いのでしょうが、それは無いようです。(というより、アイヌ語に関するまともな資料が無いので、あっても分かりません。)
もっとも、まったく同じ発音があったとしても、その意味が一致しなければ意味はありません。
アイヌ語地名をちょっと調べてみたら、それらしい、というか、そう思えば、そんな気もしてくる参考になる地名を発見しました。
地名:北海道富良野市 山部(やまべ)
アイヌ語地名:ヤムペッ [yam-pet]
アイヌ語の意味:冷ややかなる・川
(北海道(行政)のホームページ、「アイヌ語地名リスト」を参考にしました。)
なんで?とお思いでしょう。
さて、なんででしょう!?
インスピレーションってやつですかね。
「ヤムペッ」→「ヤムベ」→「ヤンベ」→「ヤンバ」
全然、説得力がありません。
最初に言った通り、お遊びですから・・・。
でも、最後はちょっとまじめに。
地名の由来についての考え方には、大きく二通りがあるように思います。
一つは、前述した由来のように、意味から漢字をあて、その読みから地名が成り立つもの。
これは、漢字を使いこなせる人々ができることであって、現代人からすればごく自然な発想であり、理解しやすいのですが、もしも、漢字を使えない(時代の)人々が使っていた地名であれば、説得力がありません。
もう一つは、漢字の意味や読みを考えずに、「発音」から考える方法です。
もしも、古くから口頭のみで使われていた地名に文字(漢字)をあてるという経緯があったとすれば、そこで使われる漢字は、ただの当て字に過ぎないかもしれません。
そう考えると、使われている漢字は、参考になるどころか、誤解を招く元になるだけかもしれません。
前述のアイヌ語地名による説は、とても正しいとは思えませんが、こういった発想の転換が、時には大事な気がしませんか?
地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」⑤・・・状況証拠の積み重ね? ― 2009/04/12 15:58
『縄文語の発掘』(鈴木 健著)のごく一部、北茨城市の平潟(ひらかた)という地名の由来について、簡単に説明してきました。
この文献では、同じようにアイヌ語を縄文語と見立てて、全国各地の多くの地名を読み解いています。
時には、「古事記」「日本書紀」「風土記」や「和名類聚抄」など、古い文献を用いて、かなり幅広く、且つ深く掘り下げて推論しています。
しかし、推論であって、それ以上ではないという感じがします。
否定的に捉えている訳ではありません。
むしろ、よくここまで調べたものだと、感心するところも多くあります。
私自身、「地名」というものを深く考えたことはありませんでしが、何かで見聞きした話においても、地名の由来を「漢字の意味」で捉えることが当たり前になっていたように思います。
もちろん、漢字の意味から付けられた地名というのも、全国にはたくさんあると思います。
しかし、地名の付いていない所や、地名の分からないところを、誰かに知らせるときにどのように話をするでしょうか?
ある程度、年齢を重ねてくると知識や理屈が先行してしまい、なかなか発想しづらいかもしれませんが、子供の頃を思い出して見ると、何となく見えてくるような気がします。
地形など、見たままの形や大きさ、見た目の感想など、何気ない言葉を使って話すのではないでしょうか。
例えば、他には無いくらい大きな岩があれば「大岩のところ」とか、そんな発想ではないでしょうか。
(しかし、それを日本語(漢字文化)で考えてしまうと、また少し意味が違うものになってしまうような気がします。うまく説明できませんが、漢字の意味で考えるという、当たり前の発想が、このことの理解を妨げている気がしてきました。これは、またの機会に・・・。)
先ほど、推論にすぎないと書きましたが、縄文語の文献という物的証拠が存在しない以上、それはやむを得ないでしょう。
しかし、鈴木氏は、いろいろな角度から”状況証拠”を数多く積み重ね、結論を出しているように思えます。
事件に例えるなら、これだけ状況証拠を揃えれば、逮捕状も取れるし、起訴もできる、裁判で有罪となることも可能なのではないでしょうか。
最後に、このような考え方は、「(言語)学者」と名のつく方達には、受け入れがたい発想のように思えます。個人的には、とても気に入っているのですが・・・。
この文献では、同じようにアイヌ語を縄文語と見立てて、全国各地の多くの地名を読み解いています。
時には、「古事記」「日本書紀」「風土記」や「和名類聚抄」など、古い文献を用いて、かなり幅広く、且つ深く掘り下げて推論しています。
しかし、推論であって、それ以上ではないという感じがします。
否定的に捉えている訳ではありません。
むしろ、よくここまで調べたものだと、感心するところも多くあります。
私自身、「地名」というものを深く考えたことはありませんでしが、何かで見聞きした話においても、地名の由来を「漢字の意味」で捉えることが当たり前になっていたように思います。
もちろん、漢字の意味から付けられた地名というのも、全国にはたくさんあると思います。
しかし、地名の付いていない所や、地名の分からないところを、誰かに知らせるときにどのように話をするでしょうか?
ある程度、年齢を重ねてくると知識や理屈が先行してしまい、なかなか発想しづらいかもしれませんが、子供の頃を思い出して見ると、何となく見えてくるような気がします。
地形など、見たままの形や大きさ、見た目の感想など、何気ない言葉を使って話すのではないでしょうか。
例えば、他には無いくらい大きな岩があれば「大岩のところ」とか、そんな発想ではないでしょうか。
(しかし、それを日本語(漢字文化)で考えてしまうと、また少し意味が違うものになってしまうような気がします。うまく説明できませんが、漢字の意味で考えるという、当たり前の発想が、このことの理解を妨げている気がしてきました。これは、またの機会に・・・。)
先ほど、推論にすぎないと書きましたが、縄文語の文献という物的証拠が存在しない以上、それはやむを得ないでしょう。
しかし、鈴木氏は、いろいろな角度から”状況証拠”を数多く積み重ね、結論を出しているように思えます。
事件に例えるなら、これだけ状況証拠を揃えれば、逮捕状も取れるし、起訴もできる、裁判で有罪となることも可能なのではないでしょうか。
最後に、このような考え方は、「(言語)学者」と名のつく方達には、受け入れがたい発想のように思えます。個人的には、とても気に入っているのですが・・・。





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